松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19.  なお,以下のnoteは今後も更新する可能性があります.https://note.com/smatsumiya/(2024.8.1.追記)

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究) 遠隔課題②教育と研究の関係性から見る大学教員の職務

担当の村澤先生から、文献を引用しそこに自身の主張を上乗せするというスタイルはいいが、少し引用文献の内容を信頼しすぎているというご指導をいただきました。
研究者がやや強めに主張しているときは、その根拠は何なのかということに注意をするようにとのご指導で、大変勉強になりました。
いやそうなんです、、そうなんですが、先行研究を批判的に引用するときには注意深くしないといけないはずなので、しかし注意深くやろうとするほどの時間が…笑
という言い訳です。

今回は、基礎演習Ⅰ(実践研究)の遠隔課題の第2弾をさらします。


2015.4.23

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究) 遠隔課題②

教育と研究の関係性から見る大学教員の職務

M156296 松宮慎治

1.はじめに
 本稿では『IDE 現代の高等教育』(2005年6月号)の特集論文(テーマ「教員組織の改革」)を読んで考察したことをまとめる。本特集は『大学の教員組織の在り方について<審議のまとめ>』(中央教育審議会大学分科会、大学の教員組織の在り方に関する検討委員会)が2005(平成17)年1月24日に提出されたことに基づく議論であると思われる。特集論文は11点あり、その内訳は『大学の教員組織の在り方について<審議のまとめ>』に関連づけながら日本の大学の教員組織について検討したものが6点(羽田先生、大﨑先生、寺﨑先生、加藤先生、藤田先生、小松先生)、日本と諸外国の大学教員組織を比較しながら論じたものが5点(小林先生、有本先生、舘先生、安原先生、別府先生)となっている。特に前者においては、『大学の教員組織の在り方について<審議のまとめ>』が「教授を助ける」ことを前提とする教授―助教授―助手の3層構造の解消を意図していることが強調されている。このことから、本特集では教授中心の階層構造の解消についてその是非を議論の対象としながら、各教員が裁量に応じて主体的に教育研究に携わるにはどうすればよいかという主題が通底していると考えられた。以上のことを踏まえ、ここではしばしば言及される教育と研究の関係性に関する先行研究を踏まえながら、大学教員の今後の職務のありようについて検討したい。
2.教育と研究の関係性についての先行研究
 大学教員の職務は一般にあまり知られていない*1。それでも比較的知られていると思われる職務は「教育、研究、社会貢献」の3点であろうが、本特集の藤田先生の論稿において「教育、研究、大学行政への参加、社会貢献、課外活動支援」の5点が対象として挙げられていることからもわかるように、大学教員の役割は増加しつつあり、かつ多様性も増している。
 山崎(2008)はこの現状について、教員が「多様な役割の増加と役割葛藤に悩まされて」いると表現している。かつ、その原因について、大学教員の国際比較調査を参照し、日本の大学教員の研究志向の強さが教育や社会貢献、管理運営などの活動と摩擦を起こしているのではないかと述べている。また、福留(2008)は「教員の活動に関する葛藤は教育と研究のバランスにおいて起こると考えられがちだが、実際には、教育研究とそれ以外の諸活動との間で葛藤が生じている」と指摘し、教育研究以外の管理運営や社会貢献にかかわる職務に原因を限定して見出している。さらに中島(2014)は、特定の大学において研究活動の活発な教員ほど学生の授業満足度スコアが高かったことから、大学教員の教育活動と研究活動が補完的な関係にある可能性を示している。
3.先行研究からの示唆
 先行研究から示唆されるのは、大学教員の役割が増加・多様化する中で教員自身が葛藤しているという事実のみならず、その原因についてはさまざまな観点があるということである。大学教員にとっての教育と研究の関係は、一般には「教育に時間が割かれて研究の時間がとれない」「研究が多忙で教育に注力できない」といった二項対立のモデルで語られることも多いと思われるが、実態はそう単純ではないということがわかる。福留(2008)が指摘するように、大学の教育研究活動の本来的意義が教育と研究の統合にあるならば、この二項対立のモデルにはやはり無理があると考えられる。
 一方、日本の大学教員の評価は、そのほとんどが研究業績によってなされることが多い。たとえば、教育志向がやや強く求められるであろう大学の教職課程における教員審査の書式においても、教育業績を問う項目は研究業績を問う項目に比して明らかに少ない*2。そうした状況下では、研究の優先順位がやや高くなってしまうことも理解できる。新規採用、昇進、専門学会での評価等の全てにおいて研究業績の多寡や質が主要な地位を占めるのであれば、問題を「研究志向」といった志向性のみに収斂するのは難しく、むしろ職業を支配する制度や仕組みの問題の方が大きいのではないかと思われる。
4.今後の大学教員の職務(私見)
 先行研究を踏まえつつ、私立大学で大学職員として勤務する立場から、これからの大学教員の職務に関する私見を述べてみたい。自身が大学職員であることから、必ずしも大学教員の実状について確定的に言及できるわけではないことに留意されたい。
 大学教員にとって、教育と研究は必ずしも対立したり、その狭間で葛藤したりする類のものではないという知見は実感に近い。相互に補完的であり、影響を及ぼし合うものであるから、むしろ統合して捉えるのが本義であるという考え方には納得感がある。実態としても、しばしば「何十年も同じ講義ノートを使い、毎年同じことを学生に話している」と揶揄されるような大学教員像は、もはやどこにも存在しえないと考えている。また、大学教員は研究者であるから、研究が本分であって教育には熱心ではないという印象もあてはまらない。研究業績が顕著な教員は同時に学生の教育にも熱心であり、その逆もまた真ではないかというのが同僚として働く中で得ている実感である。
 以上の実感が現実を一定程度反映しているとするならば、大学教員には教育と研究のみに集中できる環境が必要であるということになろう。藤田先生の論稿における言葉を借りれば、「教育、研究、大学行政への参加、社会貢献、課外活動支援」の5点のうち、教育と研究だけに職務の範疇を限定することが望まれる。その結果、大学教員はより高い付加価値が生み出せると思われる。仮に後者の3点へ部分的に参画するとしても、その場合は当該職務が教育と研究の延長であるという性格が備わっていることが望ましい。すなわち、教育研究とはほとんどかかわりのない職務から大学教員を解放し、教育と研究に集中できる条件を整備することが求められるのではないかと考えている。
 そうした条件を整備するためには、増加・多様化し続ける大学教員の現状の役割を再定義し、少しずつ大学教員以外に委譲していくことが必要である。場合によっては当該役割そのものを、所属機関の特徴に鑑みてあえて担わないという選択もありうるかもしれない。

引用文献
中島英博(2014)「大学教員の教育活動と研究活動の補完性に関する分析―大規模私立大学におけるケーススタディ―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.68-69.
福留東土(2008)「第13章 研究と教育の葛藤」『変貌する日本の大学教授職』(玉川大学出版部),pp.263-279.
山崎博敏(2008)「変貌する大学教師」『大学と社会』(NHK出版),pp.152-162.

参考文献
有本章(2005)「第3部§1 専門職としての大学教職員と(プレ)FD&SD理論」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.224-228.
有本章・大膳司・木本尚美・黄福涛・米澤彰純・藤村正司・村澤昌崇・島一則・福留東土(2014)「変貌する世界の大学教授職(1)―教育・研究活動とキャリアを中心として―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.74-77.
葛城浩一(2014)「ボーダーフリー大学教員の大学教授職に対する認識―「教育志向の教員」の再検討―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.70-71.
加野芳正(2005)「第3部§4 女性教員のキャリア形成」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.243-247.
羽田貴史(2005)「第3部§2 大学教員の能力開発プログラムの実際」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.229-233.
山野井敦徳(2005)「第3部§3 大学教員のキャリア形成」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.234-242.
李尚波(2014)「「内外協力による大学運営」―現代中国の模索―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.72-73.

*1:たとえば直近では、次のような話題もあった。日刊アメーバニュース「意外と知らない? 大学教授が想像以上にすごいと思える10のお仕事」http://news.ameba.jp/20150421-913/ :2015年4月22日閲覧

*2:教職課程認定申請様式 様式第4号(教員個人に関する書類(教育研究業績書))http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kyoin/080718_1.htm :2015年4月22日閲覧