松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

学術政策論特講(研究面から見た大学と政策)課題②大学における教育と研究の関係―「葛藤モデル」の棄却可能性について―

山本眞一先生の集中講義のレポートの2つめです。
この課題については別の講義でも何度も出していて、ちょこちょこ焼直しているものです。


2015.8.31

山本眞一先生集中講義レポート

大学における教育と研究の関係―「葛藤モデル」の棄却可能性について―

M156296 松宮慎治

1.はじめに
 大学における教育と研究の関係をみるときには、直接の担い手たる大学教員の職務について検討しなければならない。自身が私立大学職員であることから、普段から問題関心をもっているのが大学教員にとっての教育と研究の葛藤(「葛藤モデル」)である。このきっかけは、教職課程認定申請業務において教員の履歴書と業績諸をチェックする機会に恵まれた際に、「日本の大学教員は研究業績で評価される」ということを強く実感したことにある。自身の勤務先のような威信の低い大学では、たしかに採用時には「教育的なことを十分担えるかどうか」も併せて重視しているが、一旦採用したのちには、文部科学省の審査や学内の昇進といった内外の評価は基本的には研究業績で行われるようである。にもかかわらず、職員や学生、保護者といったステークホルダーからは研究者よりもむしろ教育者としての言動を要求されるという現状に問題意識をもっている。

2.教育と研究の関係性についての先行研究
 大学教員の職務は一般にあまり知られていない。それでも比較的知られていると思われる職務は「教育、研究、社会貢献」の3点であろうが、大学教員の役割は増加しつつあり、かつ多様性も増している。
 山崎(2008)はこの現状について、教員が「多様な役割の増加と役割葛藤に悩まされて」いると表現している。かつ、その原因について、大学教員の国際比較調査を参照し、日本の大学教員の研究志向の強さが教育や社会貢献、管理運営などの活動と摩擦を起こしているのではないかと述べている。また、福留(2008)は「教員の活動に関する葛藤は教育と研究のバランスにおいて起こると考えられがちだが、実際には、教育研究とそれ以外の諸活動との間で葛藤が生じている」と指摘し、教育研究以外の管理運営や社会貢献にかかわる職務に原因を限定して見出している。さらに中島(2014)は、特定の大学において研究活動の活発な教員ほど学生の授業満足度スコアが高かったことから、大学教員の教育活動と研究活動が補完的な関係にある可能性を示している。

3.先行研究からの示唆
 先行研究から示唆されるのは、大学教員の役割が増加・多様化する中で教員自身が葛藤しているという事実のみならず、その原因についてはさまざまな観点があるということである。大学教員にとっての教育と研究の関係は、一般には「教育に時間が割かれて研究の時間がとれない」「研究が多忙で教育に注力できない」といった二項対立のモデルで語られることも多いと思われるが、実態はそう単純ではないということがわかる。福留(2008)が指摘するように、大学の教育研究活動の本来的意義が教育と研究の統合にあるならば、この二項対立のモデルにはやはり無理があると考えられる。
 一方、日本の大学教員の評価は、そのほとんどが研究業績によってなされることが多い。たとえば、教育志向がやや強く求められるであろう大学の教職課程における教員審査の書式においても、教育業績を問う項目は研究業績を問う項目に比して明らかに少ない。そうした状況下では、研究の優先順位がやや高くなってしまうことも理解できる。新規採用、昇進、専門学会での評価等の全てにおいて研究業績の多寡や質が主要な地位を占めるのであれば、問題を「研究志向」といった志向性のみに収斂するのは難しく、むしろ職業を支配する制度や仕組みの問題の方が大きいのではないかと思われる。

5.今後の教員の職務について(私案)
 教員の「葛藤モデル」が一体何によって維持されているのか(あるいはいないのか)といったことが明らかにされる必要がある。特に、職業を支配する制度や仕組みの問題の解決を目指さなければ、現状のストレスから大学教員が開放されることは難しいと思われる。
 そこで、実現可能性はともかく、以下のような私案を検討してみた。

●私案:「教員」という表現への固執からの脱却
 大学教員には「教員」の呼称が用いられる。たとえば大学設置基準では「教員」という呼称であり、揺れがあったとしても「教師」のように、「教員」と同質の用語が用いられる。一方、大学教員は「研究者」であるにも関わらず、「研究者」たる領分が明示された役職の呼称が少なすぎる。このため、「研究者」がアイデンティティの重要な一部を占めるにも関わらず、周囲からは「教員」として公式に扱われることが多くなり、葛藤を抱えることとなる。
 しかしながら、これは周囲の誤解に起因しており、誤解を与えうるような大学設置基準等の呼称(あるいは、一般社会の認識)が改まれば問題は小さくなる。すなわち、「教員」という表現から「研究者」に思い切って大学設置基準の記載を変更すれば面白い。そうすれば、「研究者」でない新たな位置づけの「教員」の位置づけを検討せざるをえなくなり、「教員」としての本来の役割をより一層浮き彫りにすることが可能となる。

 以上は、すべて大学教員の職務に焦点化しながら、教育と研究の「葛藤モデル」についてみてきたものである。しかしながら、近年では教育と研究以外の仕事が大学教員の職務を圧迫しているという現状がある。自身の職務においては、そうした形式的、管理運営的業務からいかに教員を開放し、教育と研究に集中してもらうかをいつも意識している。「葛藤モデル」といったときに、現在の課題としてはむしろ教育と研究以外の仕事の増加、それに伴う教育と研究への圧迫、という視点に留意しなければならない。

参考文献
有本 章(2005)「第3部§1 専門職としての大学教職員と(プレ)FD&SD理論」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.224-228.
有本 章・大膳 司・木本尚美・黄 福涛・米澤彰純・藤村正司・村澤昌崇・島 一則・福留東土(2014)「変貌する世界の大学教授職(1)―教育・研究活動とキャリアを中心として―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.74-77.
葛城浩一(2014)「ボーダーフリー大学教員の大学教授職に対する認識―「教育志向の教員」の再検討―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.70-71.
加野芳正(2005)「第3部§4 女性教員のキャリア形成」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.243-247.
中島英博(2014)「大学教員の教育活動と研究活動の補完性に関する分析―大規模私立大学におけるケーススタディ―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.68-69.
羽田貴史(2005)「第3部§2 大学教員の能力開発プログラムの実際」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.229-233.
福留東土(2008)「第13章 研究と教育の葛藤」『変貌する日本の大学教授職』(玉川大学出版部),pp.263-279.
山崎博敏(2008)「変貌する大学教師」『大学と社会』(NHK出版),pp.152-162.
山野井 敦徳(2005)「第3部§3 大学教員のキャリア形成」『高等教育概論―大学の基礎を学ぶ―』(ミネルヴァ書房),pp.234-242.
李 尚波(2014)「「内外協力による大学運営」―現代中国の模索―」『日本高等教育学会第17回大会発表要旨収録』,pp.72-73.