松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「2014年度大学職員フォーラム」における発言記録(3)―学生と接する時に大切にしていること―

「2014年度大学職員フォーラム」における発言記録(1)―自身の大学時代と、今の仕事― - 松宮慎治の憂鬱
「2014年度大学職員フォーラム」における発言記録(2)―学生に抱く印象と問題提起― - 松宮慎治の憂鬱

昨日の続きです。

6.学生と接する時に気にしている3つのこと

 こうした問題意識がありつつ、私がどのようなことに気を付けて学生に接しているか、をお話ししたいと思います。まず、このようなことに正解があるとは思いません。私自身、いつも試行錯誤していますし、模索していますし、たぶん模索が終わることはないんだろうなと感じています。私のやり方がいいのか悪いのか、批判も含めてみなさまと議論できればと考えています。私が気をつけているのは、待つこと、問うこと、こちらから積極的に関わること、の3つです。窓口対応をケースとして考えると分かりやすいので、事例として考えました。
 まず、「待つこと」です。窓口対応のケースでは、学生がなかなか用件を言えない、という場面は非常によくあることです。みなさまの中にも、そういう経験をされた方は多いと思います。私が気にしているのは、多少じれったくても、彼らが自分の言葉で言い切るのを待つ、ということです。こういうことは、窓口が混んでいるときにはできないというデメリットはあるのですが。とにかく、「それはこれの話ですか」と先回りして答えるのではなくて、自分なりに言い切るまで、じっと待つということです。多少じれったくても。言い切らせてあげたいと思っています。
 次に、「問うこと」です。10月に大学教務実践研究会というのがあり、そこで名城の池田先生が基調講演でおっしゃっていたのがこのことです。もともと、無意識にしていたことではあったと思うのですが、池田先生のお話を受けて、より意識的にやるようになりました。すなわち、学生の質問に対して、「それはこういうことですか?」「なぜそう思ったのですか?」というように深掘りしていく、ということです。なぜならば、学生がその質問を本心でしているかとか、あるいは正しく物事を把握した上で話しているかというと、必ずしもそうではないからです。
 昨日もこういうことがありました。ある2年次生の学生が「今2年で、教職をとっていないのだけれど、今からとれるだろうか」という質問にきました。こういう質問は非常によくあります。ふつうに対応すると、「とれないことはないけど、難しいですよ」ということを伝えた上で、彼が修得している今の単位を一緒に確認して、教えてあげるということになろうかと思います。しかしながら、私は彼の口ぶりから、「これは何かあるな」ということがなんとなくわかりました。というのも、免許の種類は国語か社会がいい、とか、留年してもかまわない、というようなことを言うのです。そこで、「なぜ急に免許をとりたいと思ったのですか?」と聞くと、やはり部活の関係でした。彼はあるスポーツをずっとやってきていて、高校の部活の先生から、「免許をとって教員として帰ってこい」というようなことを言われていたのです。以上のことを理解した上で、彼には、まずその、いわゆるコネの状況を十分に確認してきてください、ということをお願いしました。すなわち、母校に戻ってこいというのが、どれくらい確定的な話かを確認しなさい、ということです。というのも、彼の母校は中高一貫校でしたから、とりあえず何か一つ免許をとって帰ってこということなのか、あるいは一応中高を両方とってこいということなのか、そもそも母校に将来的に採用してもらえるということがどれくらい確定的な話なのか、非常勤や常勤でスタートして、いずれは専任になるのか、このあたりの条件如何によって、彼が今しなければならないことは大きく変わるだろうと思ったからです。私の考えとしては、「おそらく私学なので、いきなり専任になることはないだろう」「しかし、将来的に専任になることは考えておいた方がいいし、そのためには中高を両方持っておいた方がいいだろう」「ただ、1年でも現場に早く入った方がいいとも思うので、高校の免許を取得して、非常勤でもなんでもいいから働いた方がいいだろう」「働きながら中学校の免許を通信でとる、というのが一番賢いが、教育実習と介護等体験だけは、大学生のうちに中免取得用の条件を満たしておいた方がより賢い」という意見を暫定的に伝えました。状況の確認を依頼して、細かい単位数の説明は一切しなかったということです。
 このように、学生の質問にただ機械的に答えるだけだと、その学生の要望をうまく満たせなくて、お互いに必要なことはしているけど、すれ違っているというようなおかしな状況になってしまいます。学生の質問に的確に答えるためには、その背景に対する理解がむしろ重要になってくると思っています。
 気にしていることの3つ目は、「こちらから積極的に関わること」です。さきほどの話のように、窓口付近で質問するでもなくウロウロしている学生というのは結構います。また、そうでなくても、「すいません」と声を掛けられてから学生に対応することがあると思います。私はこの状況を「負け」と呼んでいて、いかに毎日勝ち続けるかということを考えています。私は集中して仕事をしたいタイプなので、学生の呼びかけに気づかないことは結構あると自覚しています。ではどうすればよいのかと考えると、休み時間になったら初めからカウンターに立っておく、ということです。窓口での応対はそれとして集中してやると。また、周囲でウロウロしている学生に対しても、こちらから「お伺いしましょうか?」「どうしましたか?」と話しかけに行きます。これは窓口のケースですが、もう一つ、積極的に関わっている例をご紹介すると、学内ポータルにおける文章です。これは、先日送った実際の文面なのですが、形式的な文言の中に、わざわざ新年のあいさつや、自分にしか言えないこと、自分なりの言葉というのを加えて配信しています。なぜこういうことをやっているのかというと、学生の手元にはたくさんのお知らせが来る中で、多くの学生は流し読みしているか、ほとんど読んでいないだろうと思うからです。では、どういう内容であれば読む気になるかというと、形式にとどまらないものです。この条件として、誰が送ったか明らかであること、そして、その人にしか語れない言葉が含まれていること、が必要だと思っています。その前提として、普段から学生とコミュニケーションをとりつつ、その人がどういう人か理解してもらっているということが必要ですが。こうした行動には、色々と批判やご意見もあろうかと思います。私自身、試行錯誤しながらやっていますし、正しいかどうかはよくわかりません。

7.こういう関わり方で学生に表現したいこと

 こういう関わり方で、学生に表現したいことはいくつかあります。まずは、「みんなのことは自分が責任をもってみますよ」ということです。それから、学生対職員という関わりではなく、あなた対わたしというように、個別の関係性を結びたいということです。なぜならば、特にしんどい学生にとっては「あの人がいるなら行こうかな」ということを感じてもらうということが、大きなよりどころになるからです。さらに、いつでも見ているしサポートする用意があると示すことです。実際にサポートできているかというと、自分でもできているとは思いません。ただ、そういう用意はあるということは常々伝えているつもりです。
 こうしたことは、あくまでも大学職員としてのプロ意識や、こだわりを前提にしています。そもそも、こちらから積極的に関わるというのは、私の本来の人間性からは最も遠い行動様式です。でも、プロとしてはやらなければいけない。なぜなら、学生支援とか教務の職員というのは、学生の学び、あるいは成長、そういったものをどう支援していくのか、支援する当事者そのものだ、それが仕事だという自覚があるからです。自分は、それが仕事だと思っています。
 ただ、実際にそのプロ意識が意味のあるものかどうか、価値があるかどうか、プロとしてどうか、そのあたりのことは、自分では評価できないと思っています。そこの評価は、最終的には学生がする、というのが私の考えです。

8.今後大切にしていきたいこと

 今後大切にしていきたいこと、を3つ挙げます。これらは、自分ができているかといったら、できていないと思います。だから、あくまでも自戒を込めて、ということです。
 一つには、学生の可能性に期待する、ということです。私も同僚に、「あの子のああいうところは、教員には向かないですよね」みたいなことを言ってしまうことがあります。こういうことをやめる、ということです。なぜならば、その人がどういう教員になるかは、本質的に自分ごときにはわからないからです。そんな風に若い可能性を見切ることなど本来はできない。現場に入ってからものすごく化けるかもしれません。そういう謙虚さを大切にしたいと思います。
 それから、二つ目に、同僚の噂話よりも学生の噂話をする、ということです。同僚のだれだれがどう、上司がどう、学長がどう、このような話は、どのような組織であってもあることだと思います。私もしたくなります。ところで、本学の教職課程の学生は、600人を超えています。昨年、この全員の名前を覚えるということを目標にしました。しかし、全く目標に達することができません。これは、私が学生1人ひとりに十分な関心を払えていないためです。だから、同僚に関心を払っている暇があったら、学生に関心を払おうと。自分にはまだ、同僚の噂話をするような余裕はないと自覚する、ということです。
 三つ目に、自分の器を広げる、ということです。以前は、学生は自分の器以上には伸びないと思っていました。でもそれは間違いです。自分の器以上に伸びてくれます。ただ気を付けなければならないのは、それでもやはり、伸びるベースは自分の器の大きさだということです。0に何をかけても0にしかならないし、1に何をかけても1の倍数にしかなりません。学生の伸びのベースとなる自分の器を、0から1へ、1から2へ増やしていくことで、学生の伸びを飛躍させたいと考えています。

9.おわりに

 さて、今日は初めに、母校の京都橘高校推しでいく、と申し上げました。最後に京都橘に関連して、いい言葉を紹介したいと思います。京都橘高校には、フランスの詩人ルイ・アラゴンの言葉を刻んだ石碑があります。これを「アラゴンの泉」と呼んでいます。そこにはこう書いてあります。
 「学ぶとは誠実を胸に刻むこと 教えるとは共に希望を語ること」
 これ、久しぶりに見ていい言葉だなと思って、色々と調べてみると、原文訳が少し違うようなんです。この言葉は、『ストラスブール大学の歌』というルイ・アラゴンの詩集の一部ですが、大島博光さんの訳では、次のようになっています。
 「教えるとは希望を語ること 学ぶとは誠実を胸にきざむこと」
 この訳と「アラゴンの泉」では、ずいぶんニュアンスが違ってきています。まず、原文から一文目と二文目が逆になっています。さらに、「希望を語る」の前に、「共に」が追加されています。 どういうことかというと、多分「アラゴンの泉」では、こういうことを言っているのではないかと思います。「教えることよりも、学ぶことが先にある」。人に何かを教えようと思ったら、まず自らが学ばなければならない。それから、「希望は、一方的にではなく、共に語るものである」。ちょうど今日のこの場のように。
 以上です。どうもありがとうございました。