松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

大学の教務課の態度はなぜ悪いのか?—マイケル・リプスキー著,田尾雅夫訳『行政サービスのディレンマ—ストリート・レベルの官僚制』(木鐸社)を読んで―

標記の本を読了した。
この本を読もうと思ったのは,直接的には以前二宮先生(茨城大学)のブログを拝見したことによる。
現在非公開になっているので拝見できないのだが,内容としては,大体次のようなものであった*1

・大学の教務課や学生課の対応が問題になることがある
・しかし,この問題はどこの大学でも聞かれるので,個別の事象ではなくシステムとして捕捉する必要がある
・このとき,リプスキーの「ストリート・レベルの官僚制」概念が援用できる
・「ストリート・レベルの官僚」は,基本的に資源が制限されている一方,裁量は大きい状況にある
・この場合,対応にはどうしても揺れが生じるが,これをなくすには窓口業務を定型的なものに限定するしかない
・そうしたときに,きわめて杓子定規な幅のない対応となるわけだが,それはそれで問題ではないのか

言うまでもなく,ツイッターなどで「教務 態度」とエゴサーチすれば,この手のことは山ほどヒットする。
自分自身も学生時代に同じ思いを抱いたことがあるし,何より現在の自分が十分な対応をしているかというと,まるで自信がない。
こういったことが起こる理由ははっきりしていて,学生課や教務課では定型的な仕事と非定型的な仕事が混在しており,窓口で何かを受け付けるような仕事はごく一部に過ぎないことによる。
たとえばぼくの場合,4月など学生に建物の場所を案内しつつ,文部科学省への申請書を作る一方で,卒業生の教員免許状の個人申請の相談に乗る,といったことをしている。
このようなことをしていると,一つひとつの仕事に全く集中できない。集中できないと,いい仕事をするのは難しい。

ではどうすればいいのかというと,最適解は窓口業務をレベル別に分類することだろう。
定型-非定型の軸でランクわけし,コストの高い自分のような専任職員は,できるだけ定型業務には関与しないことが望ましい。
難しいのは,相談に乗る過程で定型から非定型に内容が遷移する場合である。
内容が遷移した場合にいかに受け渡すか,ということを考えるのが,この問題の肝であるような気がしている。

行政サービスのディレンマ―ストリート・レベルの官僚制

行政サービスのディレンマ―ストリート・レベルの官僚制










*1:あくまでぼくの理解です。ブログが復活したら,そちらをご確認ください