松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

【(再)課程認定に関するQ&A その1】はじめに

先日,私に来る(再)課程認定に関するQ&Aを公開してもらえないかという要望をいただきました。
これを受けて,了承のいただいたものだけ,大学や所属が特定されないようにぼかして公開していきます。
内容に誤りがあったり,あるいは質問いただいた趣旨と私のアレンジがズレすぎていたら,ご連絡ください。
ブログの弱みですが,時間が経つと制度等が変わり,正確さを棄損することがあります。
その点,ご了解ください。

中澤渉(2014)『日本の公教育費はなぜ少ないのか―教育の公的役割を問いなおす』(勁草書房)を読了

標記の本を読了した。
中澤先生の書籍は入試改革のものを読んだことがあった。

一方本書では,高等教育の行財政(費用負担)に関して複数の論点を提示されている。
たとえば,
・教育と社会福祉社会保障との関係(それらの国際比較)
・特に高等教育の費用負担の歴史的整理
民主党政権の教育政策への賛否(フェアな評価)
等である。
高等教育の無償化が政策課題となっている昨今,0か100かではない,本書のような精緻な議論が求められる。
入試改革の社会学

入試改革の社会学

山谷清志(2012)『政策評価』(ミネルヴァ書房)を読了

政策評価の基本的なことを知りたくて,標記の本を読了した。
BASIC公共政策学の第9巻とあって,門外漢にやさしい構成となっていた。
「政策」とは,「評価」とは何かといった基本的なことから,日本における政策評価制度の展開まで,
基礎→応用と勉強になった書籍であった。

政策評価 (BASIC公共政策学)

政策評価 (BASIC公共政策学)

ブルーノ・アマーブル著,山田鋭夫他訳(2005)『五つの資本主義――グローバル時代における社会経済システムの多様性――』(藤原書店)を読了

標記の本を読了した。
自分にはまだ難しすぎたが,統計分析を用いて社会経済システム(制度)を分類していることは理解できた。
本書で示されているシステム(資本主義モデル)は,次の5つである。
・市場ベース型経済
社会民主主義型経済
・アジア型資本主義
・大陸欧州型資本主義
南欧型資本主義
これらの5つを横軸にとり,縦軸に5つの制度エリア(製品市場競争,賃労働関係,金融部門,社会保障,教育)をとったものが,本書のメインテーマである「五つの資本主義」であろう。
これらの「五つの資本主義」が,それぞれ何によって成立しているのか(制度補完性)も併せて解説されている。
本書で述べられているとおり,この5つは厳密に区別されるものではなく,あくまで理念型であることに留意が必要である。

五つの資本主義―グローバリズム時代における社会経済システムの多様性

五つの資本主義―グローバリズム時代における社会経済システムの多様性

仕事の「できる(できない)」「やる(やらない)」と「方法」「内容」について

kakichirashi.hatenadiary.jp
こちらの記事を拝読しました。
彼の言いたかったことは,ぼくなりに解釈すると,「世の中にそんな特別な仕事なんかそもそもねえんだよ」「だからそんな思い上がられてもウザいんだよ」といったあたりのことを仰りたかったのではないかと思います。
違ってたらごめんなさい。
それで,ぼくが関連して思ったことは少し違う話で,仕事には「できる(できない)」「やる(やらない)」と「方法」「内容」の4つの軸がありそうだなということです。
まず,「誰にでもできる」としたときの,「できる(できない)」「やる(やらない)」の軸から。
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「誰にでもできる」であれば,②や③は存在しないですよね。「できないけどやる」「できないからやらない」という2つの選択肢自体存在しないことになります。
では,①や④はどうでしょうか。「できるからやる」「できるけどやらない」。
ぼくは大学の仕事では,後者が多すぎる気がします。できることは,やりたい。なぜならできるから。
次に,「方法」と「内容」です。
「内容」は,たいていの場合最初は与えられます。「これをやってね」と。
しかしやっぱり,「方法」では差がつく気がします。
たとえば,ぼくが以前ご一緒していた派遣契約の方は,すごい「方法」をお持ちでした。
具体的には,ぼくがお願いした作業依頼の工程すべてについて,スクリーンショットをとって保存されていたのです。
このため,間違っても遡ることができるので,ぼくは100%安心,信頼してお仕事をお願いしていました。あれはすごかった。
おそらく,この「方法」は,様々な現場でお仕事をされる立場の方が「売れる」ための,一つの武器になっていたのだろうと思います。
では,我々の仕事で評価される「方法」はなんでしょうか。ぼくはこれは,所属している部門,あるいは役割によって変わってくると考えています。
ですので,ある意味その部門,役割に応じて自分の得意なことを出せるかどうかが勝負であるような気がします。
そして,「方法」がよければ評価も自然と高まり,「内容」も変わってくるように思います。
その結果,与えられてきた「内容」をみずから模索する段階に突入することになります(これがその人にとっていいか悪いかは別ですけどね)。

教員免許状更新講習では,受入れ予定の定員だけではなく,実際の受入れ人数も公表してほしい

kakichirashi.hatenadiary.jp
こちらの記事を拝読しました。
かなり手厳しいことを書かれています。

もし、現職教員が定員超過により講習を受講できず失職した場合、訴訟を起こされる可能性はあるのでしょうか。その場合、被告は国なのか、文部科学省なのか、都道府県教育委員会なのか、講習開設機関なのか、どうなるのでしょうか。一人一人の職業人生がかかった制度であるにも関わらず、その安定性や将来性は非常に不安定だと感じています。このような状況にあって講習開設機関にできることは、多様な講習を開講し、1人でも多くの受講希望者を受け入れ、適切に講習を運営することでしょうね。

こちらでお示しのように,教員免許状更新講習の制度で最も重要なのは,「数」であるとぼくも思います。
もちろん内容も大事ですが,1に数,2に数,3,4も数で,5に内容,というレベルで数が重要です。
来年の受講予定者数がかなり多いことを見越して,自身の勤務先では今年度の人数を今までで最高にしました。その前の年も,過去最高でした。
変遷としては,のべ人数は500名強→1,200名弱,1,200名強と,まず自分が担当するようになった最初の年に倍以上にし,あとは横ばいという感じでしょうか。
現在はウェブ申し込みの予算要求を検討していますが,これも少しでも数を増やすためです。
なぜ「数」が最重要かというと,そもそも受講できなければ身分を更新できないからです。更新できない=失職,です。という至極シンプルな論理です。
その上で,自分の大学の「貢献度」みたいなものを算出したいのですが,現在の情報の公開状況では,募集定員しかわかりません。
実際の受入れ状況を公表すれば,その大学がその地域においてどの程度貢献しているのかわかります。ですので,公表をずっと望んでいます。

なしたいコトと原体験(3)育った町と社会階層

shinnji28.hatenablog.com
ぼくが上記のようなことを思うようになったきっかけがあります。
それは中3の冬のことです。
ぼくは担任の先生から,他のクラスの友人に勉強を教える係をしなさい,という指示を受けました。
なぜなら自分は私立高校に進学することが決まっていて,公立を受験する友人と違ってやることがなかったからです。
また,いろいろな意味でモチベーションが下がっているように見えたのだと思います。
そして,ぼくは放課後を中心に友人に勉強を教えるようになり,勉強のできないヤンキーのような友人でも,簡単にできるようになることを知ったのです。
八幡という町で父は公務員,母は専業主婦という相対的に恵まれた家庭で,さらに両親大卒という「大学行って当たり前」みたいな環境によって,自分は生かされているということを知ったのです。
勉強ができないというのは,決して自己責任なんかではないということを知ったのです。
ぼくが勉強を教えた友人の中には,ぼくよりもはるかに頭のいい人が何人もいました。
でも彼らがみんな大学行ったかというと,絶対にそうはなっていません。
であるならば,初めから恵まれた側である自分は,その結果を自己の利益のためだけに使ってはダメだろうという気持ちがあるということです。