松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

仕事の「できる(できない)」「やる(やらない)」と「方法」「内容」について

kakichirashi.hatenadiary.jp
こちらの記事を拝読しました。
彼の言いたかったことは,ぼくなりに解釈すると,「世の中にそんな特別な仕事なんかそもそもねえんだよ」「だからそんな思い上がられてもウザいんだよ」といったあたりのことを仰りたかったのではないかと思います。
違ってたらごめんなさい。
それで,ぼくが関連して思ったことは少し違う話で,仕事には「できる(できない)」「やる(やらない)」と「方法」「内容」の4つの軸がありそうだなということです。
まず,「誰にでもできる」としたときの,「できる(できない)」「やる(やらない)」の軸から。
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「誰にでもできる」であれば,②や③は存在しないですよね。「できないけどやる」「できないからやらない」という2つの選択肢自体存在しないことになります。
では,①や④はどうでしょうか。「できるからやる」「できるけどやらない」。
ぼくは大学の仕事では,後者が多すぎる気がします。できることは,やりたい。なぜならできるから。
次に,「方法」と「内容」です。
「内容」は,たいていの場合最初は与えられます。「これをやってね」と。
しかしやっぱり,「方法」では差がつく気がします。
たとえば,ぼくが以前ご一緒していた派遣契約の方は,すごい「方法」をお持ちでした。
具体的には,ぼくがお願いした作業依頼の工程すべてについて,スクリーンショットをとって保存されていたのです。
このため,間違っても遡ることができるので,ぼくは100%安心,信頼してお仕事をお願いしていました。あれはすごかった。
おそらく,この「方法」は,様々な現場でお仕事をされる立場の方が「売れる」ための,一つの武器になっていたのだろうと思います。
では,我々の仕事で評価される「方法」はなんでしょうか。ぼくはこれは,所属している部門,あるいは役割によって変わってくると考えています。
ですので,ある意味その部門,役割に応じて自分の得意なことを出せるかどうかが勝負であるような気がします。
そして,「方法」がよければ評価も自然と高まり,「内容」も変わってくるように思います。
その結果,与えられてきた「内容」をみずから模索する段階に突入することになります(これがその人にとっていいか悪いかは別ですけどね)。