松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

八幡の子どもたちの選択肢が広がるような社会を。

私は京都府八幡市という町で育ちました。
出身はどこですか?と聞かれて、京都ですと答えるたび、罪悪感から胸が痛む。
もしくは、「いや、京都といっても、ほとんど大阪なんですよ」と、変な言い訳をしてしまう。そんな町です。
人口は、以前は8万人と言っていましたが、さっきウィキペディアで見たら、7万人を少し超えるくらいでした。
京都にも大阪にも近い、典型的なベッドタウンです。
こんなことを言うと怒られるかもしれないけれど、所得の高い人ばかりが住む町ではありません。むしろその逆でした。
私の住んでいた「男山」は特にそうです。
八幡市立八幡第二小学校、八幡市立男山第二中学校、この2つの学校が自分の原点です。だからこの話は、他の学校にはあてはまらないかもしれません。たとえば同じ男山といっても、「お隣の三中は頭良くてスポーツもできる」といった市内ヒエラルキーはあったので。
小学校のときは3クラス、中学校でも5クラスしかなく、ご多分にもれず少子化が進んでいて、小学校は数年前に別の学校と統合された結果、校名が変わりました。
男山には、安く住める団地がたくさんありました。決して裕福でないご家庭、母子家庭、さまざまな背景を抱えたご家族がいらっしゃいました。
他の学校と比較はできないけれど、ヤンキーもたくさんいました。
大学に行くことが、金銭的にも、学力的にも、環境的にも、選択肢に入らない子どもたちがたくさんいました。
実際に、地元の八幡高校を卒業してから、ずっとそのまま八幡で生活している、そんな友人がたくさんいます。

一方、自分はどうだったか。
親は公務員でした。家庭は一軒家を持ち、家計が苦しいと言われつつも、私立高校に進学しました。
3,4年前、久々に中学校の同級生とご飯を食べたときに「しんじは高校から私立に行ったから、それ以来違う世界に行ったように思っていた」と言われたことを思い出します。
あまり気にも留めたことがなかったけれど、大学に進学することが当たり前の環境に身を置くこと、それ自体八幡の子どもたちにとっては「違う世界」だったのかもしれません。
大学に進学し、就職し、新幹線や飛行機で広い範囲を移動し、大学院に行ってさらに自分を伸ばす。
行こうと思えば、海外旅行にも簡単に行ける。それだけのお金を稼ぐ。
八幡の子どもたちで、それができる環境にあった人がどれだけいたでしょうか。それだけ多くの選択肢に恵まれた子どもたちがどれだけいたでしょうか。
自分がいま、多様な選択肢の中から自分の価値観に基づいて何かを選べるのは、自分の努力の結果ではなく、たまたま環境に恵まれたからにすぎません。
私より勉強ができる子も、人間的に素晴らしい子も、たくさんいました。ただ、選択肢の多様性というものは、当人の努力だけではどうしようもない、周囲の環境によって決まるところも大きいでしょう。
自分はたまたま環境に恵まれただけ。他方で、たまたま環境に恵まれなかった子どもたちもいる。
そのことを、「違う世界に行ったようだ」と話す友人の言葉とともに思い出すことが増えました。

これまで、大学職員としてベストを尽くすモチベーションの源泉には、自身の大学生活への後悔や不満がある、と思ってきました。
それをなんとか今の学生に返したいと思っていると考えてきました。
しかしながら、ここ最近では、もう少しそこを掘り下げた、根源的なところを探り当てつつあります。
すなわち、

八幡の子どもたちの選択肢が広がるような社会を。

ということ。
少しでも、八幡の子どもたちの選択肢が増えたらいいなと。
自分の頑張りがそこにどう繋がるかはまだわからないけど、なんとなくそうなればいいなというレベルでいいから、求めていきたいです。