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ぼくが上記のようなことを思うようになったきっかけがあります。
それは中3の冬のことです。
ぼくは担任の先生から,他のクラスの友人に勉強を教える係をしなさい,という指示を受けました。
なぜなら自分は私立高校に進学することが決まっていて,公立を受験する友人と違ってやることがなかったからです。
また,いろいろな意味でモチベーションが下がっているように見えたのだと思います。
そして,ぼくは放課後を中心に友人に勉強を教えるようになり,勉強のできないヤンキーのような友人でも,簡単にできるようになることを知ったのです。
八幡という町で父は公務員,母は専業主婦という相対的に恵まれた家庭で,さらに両親大卒という「大学行って当たり前」みたいな環境によって,自分は生かされているということを知ったのです。
勉強ができないというのは,決して自己責任なんかではないということを知ったのです。
ぼくが勉強を教えた友人の中には,ぼくよりもはるかに頭のいい人が何人もいました。
でも彼らがみんな大学行ったかというと,絶対にそうはなっていません。
であるならば,初めから恵まれた側である自分は,その結果を自己の利益のためだけに使ってはダメだろうという気持ちがあるということです。