松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

再課程認定の場合わけ(1)における「シラバス」「業績書等」の提出パターン,詳細に見ていくとよくわからない

これまで提供してきた,以下の場合わけについてです。
shinnji28.hatenablog.com

(1)「新規事項及びコアカリキュラムが策定された事項」の場合
(2)「新規事項及びコアカリキュラムが策定された事項以外の事項」の場合
(3)(1)が(2)に干渉してくる場合

こちらを改めてみていると,自分の中で不親切だなと思ったことがあります。
そしてよくよく『手引き』を確認していくと,よくわからないところがあります。
具体的には,私の表現だと,「(1)「新規事項及びコアカリキュラムが策定された事項」の場合」の,
2018年度 → 2019年度の担当者変更との兼ね合いがわからないな,と思うのです。
(もともと,複雑な(2)のために考えた,みたいなところがありまして。。)
『手引き(暫定版)』では,

①「記載の事項を含む科目を同一の教員が引き続き開設する場合」,×印のものは提出不要【『手引き』暫定版のp.6下から6行目】

②「科目の担当教員を変更する場合」,×印であっても提出が必要【『手引き』暫定版のp.8上から3行目】

とあります。
このとき,提出の要・不要について,①はいわゆる「含む事項」単位,②は「個別科目」単位のように読めて,揺れがあるようにも見えます。
担当者の変更を,「含む事項」単位でみるのか,「個別科目」単位でみるのか,どちらだと思います?
以下のP.8上から7行目以降のただし書きは,「科目=含む事項」と考えないと,意味が通らない気がするんですけどね。

ただし、平成31年度より科目を新規開設する場合であっても、当該新設科目を担当する教員が平 成30年4月において表の「×」の組合せに該当する科目を担当している場合は、シラバス又は業績 書等の提出は不要である。
(例:既に「教育実習」を担当している教員が、新設科目「学校体験活動」を担当する場合は、表 においてシラバス「○」業績書等「×」の組合せに該当するので、業績書等の提出は不要となる。)

要するに用語の定義の問題だとは思うのですが。もしお分かりの方がいたら,教えてください。
書き散らかし氏でも,文科省の中の人でも,どなたでもいいです。
また,先日の勉強会でも,場合わけ(2)の「名称」というのが「科目名称」ではないことを,私の報告で知ったという方がいらっしゃいました。
遠方から京都の勉強会に来られる方ですら,そういう状況にあります。
現在のスケジュール,説明資料,『手引き(暫定版)』の現実からして,無理もないことだと思います。
ですので,初版が更新されるときには,そうした用語の定義づけみたいなものを明確にされた方が無難な気がしております。

凡夫未満の自分がコトをなすにはどうすればよいのか

そもそも,自分は生来凡夫未満の人間でした。
たとえば,小3で九九が満足に言えませんでした。
そこから,両親が心配して強制的に勉強をさせられる毎日が始まりました。
具体的には,教師である父の宿題が毎日出て,それに答える日々でした。
このような生活をしているので,勉強はどんどんできるようになりました。
しかしその実態は,人より先に学習を進めているだけのことでした。
自分の力のなさは,自分が一番よくわかっていました。
このような生活も,中3で限界を迎えました。
というより,中2くらいから既に限界は来ていました。
なぜならぼくは,父の宿題を真面目にせず,こっそり答えを丸写していたからです。
そして中3の夏,管理への反逆から,「以後勉強は自分でやる」という宣言をしました。
ではそれ以来,果たしてぼくは勉強を一生懸命したでしょうか?
もちろん否です。
凡夫未満の人間である自分が,自ら学ぶという高尚な行動がとれようはずもありません。
今まで指示されたとおりのことをやってきた人間が,突然主体的に頑張りだすはずもありません。

このような過去の経験から,「自分はまだ一度も学問に本気でコミットしたことがない」という負い目を持っていた気がします。
これが,勉強が嫌いであったにもかかわらず,「働きながら大学院に通う」ことに興味をもった理由です。
そして,凡夫未満の人間がコトをなそうと思ったら,次の2つを徹底的にやるしかありません。

①コスト(お金と時間)をかけること

②「平凡な幸せ」的生活を極力捨てること

お金と時間はこの世界では常に等価です。
なので,いずれも「どう使うか」が重要になります。
現在,広島に通う交通費/宿泊費でおよそ月10万円を使っています*1
これに授業料,入学金を加えると修士の2年間で380万円程を使ったことになり,その上で博士後期に進学して半年経ったのが今です。
「お金があるからできるのだ」と揶揄されることもありますが,十分条件と必要条件を区別する必要があります。
広島まで毎週通う → お金がある が成り立ったとしても,その逆も常に成り立つとは限りません。
ぼくは旅行にも行かないし、基本的にほとんど遊んでいません(本当は遊びたいし,休みたいという気持ちはあります)。
また,勉強時間の確保のために,仕事のある平日は昼食をとっていません。
最悪昼食をとっても,食べながら本を読んでいます。
昼休みは仕事をして早く帰るか,勉強をするかは悩ましいところです。
でも,朝晩は勉強です。
食事は一日一食です。
食べたら眠くて集中できなくなるからです。
自分でもやりすぎかもしれないと思うことがあります。
しかし,そこは生来凡夫未満の人間。
半分狂気を帯びるくらいでないとコトはなせないと思っています。

先日,引っ越しをしました。
そのついでに,洗濯機,テレビ,冷蔵庫を捨てました。
財布も捨てました。
また,この4月から家の掃除は外注しています*2
時間を節約するためです。
このような話をすると,「ミニマリストですか?」と半笑いで聞かれることがあります。
うまく説明できないのですが,ミニマリストとは少し違う気がします。
自分のなすべきことに集中するため。
本当に大切なことだけに注力できるようにするため。
そのためにそぎ落とさないと,凡夫未満の自分にはすべてを背負うことはできません。
外形的,物質的なモノはだいぶ捨てました。
これからは,得てきた成功体験,学習,価値観等,内面を捨てていく時期だと考えているところです。

*1:ここについては,少し再考しています。というのも,移動時間の無駄としんどさを解消できないからです。広島の先生にお会いするのは楽しいのですが……。

*2:共働きの方には,本当におすすめです。

京私教協2017年度第2回勉強会の補足について

shinnji28.hatenablog.com
こちらの勉強会に参加いただいたみなさま,ありがとうございました。
一部補足させていただきます。
私は報告において,「シラバス」「業績書等」の提出パターンについて,次のように場合わけすればわかりやすいという提案をしました。

(1)「新規事項及びコアカリキュラムが策定された事項」の場合
(2)「新規事項及びコアカリキュラムが策定された事項以外の事項」の場合
(3)(1)が(2)に干渉してくる場合

しかし,このうち(3)の内容をお話ししているときに,一部言い淀んでしまいました。
お話ししながら違和感を覚え,それでいてなぜ違和感を覚えたのか説明できなかったためです。
この点について,参加者であった友人から帰りの電車で指摘いただいて,気づきました(ありがとうございました)。
以下に補足説明をします。
(3)の内容は,次のとおりお示ししましたものです。

①(1)において「業績書等」の提出が求められ,かつ当該教員がたまたま(2)に含まれる科目を同時に担当している場合
→(1)(2)を併せた担当科目全てを「業績書等」に列挙することになる。このとき,審査対象となるのは(1)の科目のみ【質問回答集:平成29年8月28日版,No.379】
②(1)の「中学校・高等学校の英語」で,2019年4月に新カリキュラムをスタートする場合
→(1)の枠組みにもとづいてまず,科目区分(施行規則に規定する科目及び事項)「英語文学」に配置する科目は,「シラバス」「業績書等」を提出する。これに加えて,(2)の枠組みにもとづいた「シラバス」「業績書等」の提出要・不要を判断する必要がある

この内容は,一部おかしいです。具体的には,赤字にさせていただいたところです(当日は黒字)。
今回の「シラバス」「業績書等」の提出パターンでは,「カリキュラム」を単位として問題が生ずることはありません。
すなわち,単純に「(1)の「中学校・高等学校の英語」の場合」とだけ言えばよかったのです。
にもかかわらず,「カリキュラム」を問題としてしまった理由は,学内でカリキュラム改正を検討した英語の課程があったためです。
しかし,繰り返しになりますが,今回の「シラバス」「業績書等」の提出パターンでは,「カリキュラム」を単位として問題が生ずることはありません。
紛らわしいことを申し上げたこと,お詫びして訂正いたします。

上記も含めた,提出パターンの訂正記事を以下に置いています。併せてご高覧ください。
shinnji28.hatenablog.com

京私教協 2017年度第2回教員免許事務勉強会で,教職課程再課程認定に関する報告の機会をいただきました

参加いただいた皆様,ありがとうございました。
お世話になってきた方からの,おそらく3年ぶりくらいのオファーということで,いつにもまして気合を入れたつもりです。
もしご不明な点がございましたら,いつでもお問い合わせください。
また,私にできることがあればベストを尽くしますので,いつでも仰ってください。
※当日報告資料から,1枚スライドを抜いています。
よくわかる再課程認定 ―「シラバス」「業績書等」の提出パターンを中心に―

『大学行政管理学会誌』第21号,pp.66-79.に論稿を掲載いただきました

抜刷をご入用の方はご用命ください。

タイトル

小学校教師の資質能力に対する認識比較―採用段階の大学と教育委員会に着目して―

概要

小学校教師の資質能力に対する認識をめぐって,大学卒業程度にふさわしい汎用的な資質能力(「学士力」)と教師としての専門的資質能力(「教師力」)をそれぞれ定義し,両者の関連性を分析した。結果からは,第1に「学士力」と「教師力」への認識は大学と教育委員会で有意な差がなく,整合的であること,第2に「学士力」と「教師力」の相関はきわめて高いため,「学士力」と「教師力」の関連は代替的というよりも補完的であることが示唆された。これらのことから,専門教育としての教師力の育成には汎用的な学士力の育成がはじめから組み込まれている可能性や,大学と教育委員会がイメージする教師像は従来から似通っているため,政策的に推進される両者の連携協力の必要性に疑義が生じうることが含意として得られた。

野村康(2017)『社会科学の考え方―認識論、リサーチ・デザイン、手法』(名古屋大学出版会)を読了

標記の本を読了した。
本書で最も勉強になったのは,第Ⅰ部の「認識論」である。
特に,存在論の2つの立場(基礎づけ主義と反基礎づけ主義)と認識論の3つの立場――実証主義(positivism),解釈主義(interpretivism),批判的実在論(critical realism)――の紹介と体系づけが行われた箇所は勉強になった。
さらに,先行研究として引用されているGrix(2010)*1による研究の論理的手順――存在論的立場の同定→認識論的立場の同定→(研究の)問いの導出→手法の導出→情報源の選定――も参考になった。
これまで,言ってみればこのように体系化された形ではなく,その都度パッチワーク的に勉強してきたことが整理できた。
このようなことを最初の段階で知っておくことはかなり重要だと思われるが,「なるほど!あれはそういうことだったのか」と腹落ちできるという意味で,いつ読んでも勉強になりそうであった。
この本は何度か読み返すことになると思うし,買ってよかった。

社会科学の考え方―認識論、リサーチ・デザイン、手法―

社会科学の考え方―認識論、リサーチ・デザイン、手法―

*1:Grix, J. (2010) The foundations of reserach, 2nd ed. Basingstoke: Palgrave Macmillan.

藤原康弘・仲潔・寺沢拓敬(2017)『これからの英語教育の話をしよう』(ひつじ書房)を読了

標記の本を読了した。
本書では,新学習指導要領とコア・カリキュラムという直近の英語教育政策を批判的に検証し,対案を示す試みがなされている。
第1章では,小学校への英語の「教科化」(「外国語活動」からの転換)にはエビデンスも一貫性もないことが批判されている。
また,「教科化」は,コストをかけずに小学校教師の仕事を増やすという意味で本質的には労働問題であることも喝破されている。
第2章では,限られたコストはALT(外国語指導助手)ではなくJTE(日本人英語教師)にを割くべきことが指摘されており,過剰な「ネイティブ信仰」から脱却する必要があることが述べられている。
また,英語教育で特別免許状が乱発されることは,政府が英語教育は誰でもできると示すことと同じであるという危惧を述べている。
第3章では,新学習指導要領の問題点として,抜本的な改革に踏み込んでいないこと,コミュニケーション観が狭い領域に押し込められ,かつ個人的な能力として位置づけられてしまっていることを挙げている。
各章に共通するのは,
(1)限られたコストをどう割くかという視点が政策(研究者も含めた関係者)に欠けているという問題意識
(2)批判だけでなく対案を示すという構成
(3)当然視される言説の,(エビデンスにもとづく)再定義
の3つであると感じた。
本書で取り上げられているのは英語教育であるが,どのような政策であっても上記の3つは援用可能だろう。
英語教育の点からも,政策研究の点からも勉強になった。
なお,寺沢先生の主張については,そのエッセンスをヤフー個人でも参照可能である。

これからの英語教育の話をしよう

これからの英語教育の話をしよう