松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

デイル・ドーテン著,野津智子訳『仕事は楽しいかね?』(きこ書房)を読了

年末に標記の本を読了しました。
たしか,IPS細胞の山中先生の愛読書だとかで有名な本だったと思いますが,おすすめです。
飛行機が止まってしまった空港で,マックス・エルモアというおじさんに話しかけられる中で,さまざまな教訓のようなものをもらうという簡単な物語です。
ぼくなりに解釈すると,この本には2つのメッセージがあると思いました。
一つは,しつこくしつこく,何度でも試すことの大切さ。
それからもうひとつは,人生を予測するような生き方をするんじゃなくて,その日その日にベストを尽くすこと。
特にこの2つが端的に表現された箇所を引用しておきます。
千人の人がコインを7回連続で投げると,表を出し続ける人は8人しか残らないという話です。(赤字は引用者)

 しかし彼はそうはせず、講演の原稿の一節に目を落とした。株の選択に関する経済学者バートン・マルキエルの研究について論じている部分だ。
 そこに出てくる‷ランダム・ウォーク”については、私も耳にしたことがあったが、マックス・エルモアは、さまざまな意義を見出していた。
 「マルキエルは仮想のコイン投げ競争を想定した」
 マックスは詳しい説明を始めた。
 「参加者は一千人。表が出れば勝ち、裏が出れば負けだ。そうして一千人の人々がコインを投げると、だいたい五百人が裏が出て負ける。表が出た五百人は、もう一度コインを投げる。七回投げ終わると、コインを投げる人はちょうど八人になる。
 講演の原稿を私に手渡して、マックスは次に何が起きるかというマルキエルの考えを記した部分を指し示した。そこには、こう記されていた。

 『このころには、コイン投げの達人たちの目を見張るような能力を一目見ようと、見物人が集まってくる。そして、勝った人たちはお世辞に当惑させられる。彼らはコイン投げの天才だとほめたたえられるのである――生い立ちを書かれたり、急にアドバイスを求められるようになったり、といった具合に。いずれにせよ、参加者が一千人いても、たえず表を出し続けられるのは、わずか八人にすぎない』

 私は何となくすごいなと思っただけだった。投資アドバイザーの意見を補足するものとしては役に立つのかもしれないが、私には、成功が黙っていても手に入る幸運なものだとはまだ思えなかった。
 そう告げると、マックスはおかしそうに笑った。
 「問題はね、きみが理屈っぽいってことだ。きみの思考は、学生モードのままなんだよ。この課題をすべてやっておきなさい、そうすればAがとれますよってね。きみは、課題のリストをほしがってるだけなんだ」 
 「仕方ないじゃないですか」
 彼をやり込めるチャンスとばかりに、私は言った。
 「目標なんか捨ててしまえとおっしゃるのに、代わりに何を持てばいいんです。コインでも投げますか」
 またしても、マックスは私の肩を万力さながらにがしっとつかんだ。
 「もちろん、きみはまず成功の前提条件を、すべてそろえなければならない。もし、頭が切れなかったり、勤勉でなかったりしたら、きみは十回のうち十回とも失敗することになるだろう。だけど、もし適切なことをしっかりやったら、どうなると思う?十回中、失敗するのは九回になるんだよ」
 再び私が反論するより前に、マックスが片手をあげた。
 「いままでに読んだ素晴らしい小説の中で、ベストセラーにならなかったものが何冊あるか、考えてごらん。地方の劇場に出ている俳優だって、ブロードウェイの俳優と同じくらい実力のある人が、何人いるだろう。

**問題は、才能のあるなしでもなければ、
 **勤勉かどうかってことでもない。
**コイン投げの達人じゃないってことなんだ。

  だから僕は、たった一つしか目標を持ってない。毎日毎日、違う自分になること。これは〝試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ。
  頭にたたき込んでおいてほしい。何度となく〝表”を出すコインの投げ手は、何度となく投げているのだということを。そして、チャンスの数が十分にあれば、チャンスはきみの友人になるのだということを」

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?