松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

目的志向への疑問―大きくて重要なことであればあるほど,ゴールではなくプロセスが大事になる―

こちらのブログを拝読して考えたことを書いてみたい。
kazuniver.hatenablog.com
仕事の仕方として,

(1)ゴール(期日、納期)を設定する

 ↓

(2)ゴールまでのプロセス(段取り)を設定する

 ↓

(3)他の業務や周囲と調整をして(1)・(2)を確定させる

こうすることが大事であると仰っている。

さて,しかし本当にそうだろうか?
私は必ずしもそうは思わなくて,このようなやり方がうまくハマる場とそうでない場があるように思う。
このようなことは,「大きいか,小さいか」「重要か,重要でないか」のマトリクスで考えるとわかりやすい。
f:id:shinnji28:20160218201030p:plain
上記のような図があったとして,ゴールを設定し,それに向かうプロセスを細かく設定するという手法を,仮にここで目的志向と呼ぶとしよう。
そこで,目的志向というのは,上記の図でいうと実はCあたりのゾーンでしか使えないのではないかと考える。
たとえばここで,思い切り大きく出て,生きるということを考えたとしよう。
生きることのゴールは,死ぬことだ。

存在と時間(全4冊セット) (岩波文庫)

存在と時間(全4冊セット) (岩波文庫)

大体何歳で死ぬのか設定する。死ぬまでのイベントをいくつか設ける。そして,死へ向かって日々のタスクをこなしていく。
これが目的志向である。
そのような人生は楽しいだろうか?
人生は,プロセスそのものだ。何がどうなるかわからなくて,予測もつかないから面白いのであって,すべてが計画だってしまうとつまらない。
あえて計画を立てず,プロセスを大切にすることを,ここで過程志向と呼ぼう。
その仕事が大きくなればなるほど,重要になればなるほど,目的志向から過程志向に寄っていかざるをえないのではないか?というのが私の仮説である。
もう一度前述の図を別の形で引用すると,
f:id:shinnji28:20160218202504p:plain
こんな感じで,仕事がAとCを中心とした楕円におさまっているイメージである。
だって,重要だけど小さい仕事とか,重要じゃないけど大きい仕事というのは,相対的に少ないはずなので。
仮にそういう仕事があるとすれば,前者は大きく,後者は小さく,それぞれ収斂されていくと思われる。
その仕事が大きくなればなるほど,重要になればなるほど,ゴールは見えにくくなる。
なぜなら,ときとしてそういう仕事は,ゴールそのものがわからない,存在しない,あっても永遠に到達しえないような遠い場所にある,という特徴があるからだ。
もちろん,冒頭のブログを批判する意図は全くなくて,自分なりのコメントをつけてみたということである。
ただ,このような目的志向に慣れ切ってしまい,それで成功を重ねてしまったとする。もしかしてそれは,さして重要でない小さなことをこなしたに過ぎない,ということになってしまうかもしれない,という警鐘は鳴らしてみたかった。

私自身,このような目的志向は良いことだと思っていた。
でもいつしか,そうでもないなと思うようになった。
その理由は,ゴールを想定するといった場合に,そのゴールは自分の現在の実力に規定されてしまうからである。
ゴールというのは自分の想像の範囲にしか設定できなくて,それは自分の成長という変数が考慮に入れられていない。
それでは全くワクワクしないので,ひたすらプロセスに力を入れて,自分でも気づかぬ間にとんでもないところに導かれていた,というような仕事の仕方も悪くないのではないか,と思うのである。