松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

時間を積めば実力が伸びるという誤謬

「1年目で仕事を覚えて…では遅い」

以下のブログを拝読した。
kakichirashi.hatenadiary.jp
こちらで述べられていることは,端的にいえば,変化の激しい現代では,その部門に参画したら仕事を即覚えるのは当然であって,その上で1年目だろうがなんだろうが積み上げをしていく必要がある,という主張である。
たしかに,「1年目はまず仕事を覚える」的な話は,よく聞く。
ここでは,「では,なぜそのようになってしまうのか?」ということを少し考えてみたい。

同じ話は,人事異動にも…

同じような話は,人事異動でも存在する。
これは以前にも書いたことだが,自分のように学生支援4年→教務4年,という異動プロセスを経ていると,「さて,ではそろそろ管理系に…」ということが人事の上で考えられるようになるだろう。
この考え方にはかなり問題がある。具体的には,過ごした時間そのものをあまりに過大評価していて,果たして内容をどれほど検討材料にしているか疑問なのである。
同じ4年間を過ごしていても,AさんとBさんでは,過ごした時間の薄さ・濃さから,全く評価が異なることも,本来はありうる。
言うまでもなく,その部門で時間を過ごすということ自体には何の意味もないのであって,その時間の中で何を為したか,どれだけ一歩を踏み出したかが重要であるにもかかわらず。

なぜ,そうなってしまうのか?

思うに,根本的には,ここには「時間を積めば実力が伸びるという誤謬」が存在しているように感じられる。
時間を積めば,実力を伸ばすチャンスはその分増えるかもしれないが,そのチャンスを生かすかどうかという点については,実をいうと個人の力量にかなりの程度左右される。
ではなぜ,「時間を積めば実力が伸びるという誤謬」が神話的に力を持つのか。
それは,ハッキリ言うと「そうでないと困る」からであろう。
大学という業界は多くの場合年功序列であって,特に国立大学なんかは公開されている棒級表を見ればわかるように,その傾向が明瞭である。
もし,時間を積んだら実力が伸びるという仮定が,「必ずしもそうではない」みたいな対立仮説によって否定されてしまうと,年功序列の意味づけも同時に失われてしまう。
すなわち,「1年目はまず仕事を覚え,2年目に大体のことを把握し,3年目に改善する」といったような時間依存的な枠組みは,年功序列制度ときわめて相性がよいので,大学業界においては根強い力を持つことにならざるをえない,と言える。