松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

学務系職員だからといって、学生と関われているとは限らない

先日こちらのブログを拝見しました。
職員と学生の関わりに思う 〜非学務系職員は学生と関われるのか?〜 - 大学職員の書き散らかしBLOG
この記事では、冒頭のところで次のように述べられ、仕事の中で学生と関わる機会がなかったことに関する懸念を示されています。

早速ですが、私には大学職員である上での負い目があります。それは、学生と関わったことがほとんどないということです。大学は学生のためにあるという言説は理解できるし納得もできるのですが、それを切実感を持って語れないことは経験年数が上がってくるにつれてちょっと危機感を抱いているところです。

私はこのような方がいらっしゃることに感動しました。同時に、以前から疑問をもっていたこと「学務系職員だからといって、<学生と関わっている>ことになるのはおかしい」という考えについてお話したいと思います。

「学生と関わる部署にいる=学生と関わっている」ではない

私の最初の配属先は学生支援系の部署でした。今は教務にいますので、入職して7年間、一貫していわゆる「学生と関わる部署」で過ごしてきたことになります。
そう、このようなキャリアを歩んでいると、「一貫して学生さんに近いところで職業人生を歩んできました」などとと言うことができます。
人事政策的にも、「彼はずっと学生と接する部署にいるから、将来のことを考えてここらで少し管理・総務系の部署を経験させよう」といった配慮がなされるかもしれません。
しかしながら、このような発想は、学生と関わる部署に所属している=学生と関わっていると自動的にみなす、ということであり、非常に危険ですし、間違っていると以前から思っています。
部署に所属しているからといって、学生と関われているとは限りません。

関わりのレベルをどこに置くのか

なぜ学生と関わる部署にいると、学生と関わっていると自動的にみなされるのか。
それは、端的にいってカウンター業務があるからだと思います。
カウンターに出て、学生に応対する。だから学生と関わっている。
これはたしかにそのとおりですが、注意しなければならないのは、どのレベルで関わっているかは人によって違うということです。
表現が難しいのですが、私は、学生の質問に対して答えを単純に返す仕事を、学生に関わっていることだとみなしてはいません。それは機械と同じだからです。
実際、カウンター業務は本来非常に難しい仕事で、ふつうにやってしまうと機械的な処理になってしまいます。
これは、かつての私にも身に覚えがあって言っていることです。
機械的な処理にコストの高い専任職員は不要です。
コストの高い専任職員がカウンター業務に従事する場合は、1人ひとりの学生に合わせた声かけを行い、機械的ではない深い関係性を結び、極端に言うと大学を好きになってもらえるような働きかけができることが望ましいと考えています。
そういう専門的な、難しい仕事だと私は思っています。

非学務系職員の方へ

以上のことから、非学務系の職員の方が、学務系職員に一部であっても負い目を感じる必要はないと思います。関わり方のレベルが人によって違うからです。
学務系の部署にいるからといって、自動的に学生と関わっているとみなすことはできません。
私の好きな他大学の職員に、入職から一貫して財務系の部署に所属しているにもかかわらず、積極的に学生と関わっている方がいます。
たとえば、所属長に交渉して知ってる教員の講義を一部借り、自分の仕事内容を説明したり、一緒にイベントを作ったりしています。
その方が言っていたことで、印象深い言葉があります。

学生のことは、普通に仕事をしていても、想像すればなんとなくわかる。でも、本質がわからない。

人間の本質を知ろうとすることは、結構泥臭い営みです。
少なくとも、機械的なやりとりによって本質に触れられることはなくて、その学生個人の悩み、痛み、苦しみ、傷など、どちらかというとしんどいところに関わっていくこともあります。
多分、冒頭のブログを書かれた方も、本質を知る必要があると思われているのではないか、と想像します。
こういう非学務系職員が学生と関わりたいと思ったときの具体的方法ですが、なかなか難しいですね。
さすがに講義に出て自分の仕事を説明するのはハードルが高すぎます。
イベントを作ったりするのはいいかもしれませんね。
個人的には、食堂なんかで適当に話しかけるのもよいと思うのですが。職員なので、そんなに怪しまれることはありませんしね。