松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

スーパー大学職員って??―大学教育学会 課題研究集会に参加して(3)―

大学教育学会の課題研修集会の夜、先生や職員と二次会をしていて、ある先生から「関西はいい職員がたくさんいるんだから。飲み会してるだけじゃなくて、そろそろ次の段階に進もう!スーパー大学職員の養成大学を作ろう」というようなお話がありました。
「スーパー」という言葉の是非や定義はともかく、皆さん酔っていらしたので、そこは大学人らしく、じゃあその大学のAPは?CPは?DPは?という話で盛り上がりました。
この会話に加わりながら思っていたことは、スーパーかどうかは誰が決めるのか?ということです。
スーパーかどうかは誰が決めるのでしょうか。私は自分以外の他者だと思いました。市場と言い換えてもいいかもしれません。大学職員の能力開発にはいくつか有名な受け皿があります。大学行政管理学会、大学マネジメント研究会、四国地区大学教職員能力開発ネットワーク(SPOD)、大学院進学……。確かに、このような場にお越しの方は、意識が高く勉強熱心です。私もよく参加しているのでわかります。でも、こういう場への参加は誰でもできます。したがって、こういう場へ参加される方が、必ずしもスーパーであったり、その素養を持っていたりするとは限りません。これはもちろん、自分も含めてのことです。
スーパーかどうかは、自薦では決められません。良い評価も悪い評価も、それは労働市場において自然に決定されるもので、自分はその評価に関与できないと考えています。
また、結局のところ、職業人の価値の基礎は現場にあると思うので、自らの所属でどのような価値を生んでいるかということが非常に大切になってくるのではないでしょうか。その意味で、既存の受け皿のように、所属の外の場で推し量られる価値には一定の限界があるとも思います。これは、何より私自身が感じていることです。
以上の前提が正しいとすれば、「スーパー大学職員」というのは、戦略的に養成しようと思うと、これまでの受け皿では厳しいのではないでしょうか。なぜなら、これらの受け皿は全て自薦で参加することになっているからです。もちろん、自分のやる気というのは大切ですが、生み出す価値に対して十分条件にはなっても、必要条件にはなりえないのではないでしょうか。そして、もしそうであるならば、スーパー大学職員というのは、どのような条件で育つのでしょうか。

そのようなことをつらつらと考えてしまいました。