松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

外部の研究会に参画して1年が過ぎた感想

外部の研究会に参加して1年が過ぎましたので、その感想を記したいと思います。
参画した研究会の紹介、参加したメリット、デメリットの3点を記します。

参画した研究会の紹介

参画したのは、大学行政管理学会のテーマ別研究会の一つである、大学改革研究会です。こちらに運営メンバーとして去年の12月から参加してきました。
大学改革研究会
この大学改革研究会は、「若手大学職員の相互支援」をテーマに活動をしていて、内部の勉強会や外部向けのワークショップを開催しています。
私は入職2年目の2009年から大学行政管理学会に参加していますが、このように若手を対象とした研究会は、当時は皆無ではなかったものの、基本的にどこへ行っても年配の方が多かった印象です。
2010年~11年前後から、休眠状態にあったこの研究会を現代表ほかが譲り受けて、学生時代の経験を生かして、「若手大学職員のピア・サポートをしたい」という趣旨で活動しはじめたのが本研究会の始まりのようです。
大学改革研究会という名称の是非については議論がありまして、学会の理事からも「活動内容と齟齬があるので、変えてはどうか」という意見をいただいたことがあります。
しかしながら、この研究会は休眠状態に入る前、以下のように諸先輩の精力的な足跡があったりして、
教育学術新聞 : 教育学術オンライン 第2371号|日本私立大学協会
こうしたこれまでの歴史を尊重したいという思いから、名称の変更は留保しています。また、大学改革研究会という名称であれば、比較的どのようなテーマであっても取扱い易いということも、変更をためらう理由の一つです。
個人的には、大学改革という言葉そのものが使い古されたものですし、余計なアレルギー反応を招くこともありますので、変えてもいいのではないかなと思っています。ただし、前述の理由から、積極的な変更に邁進することもないかなと感じます。
大学改革研究会開催のワークショップにはちょくちょく参加していたのですが、去年の12月のものの懇親時に、一緒に運営をやりませんかというお声掛けをいただき、加入することにしました。
その時点で27歳だったので、「もう若手ではないですよ」ということはお伝えしたのですが、全然いいですよということだったので、若い人たちをエンパワメントする役割を果たすつもりで参画しました。

参加したメリット

大きく2点あるような気がしています。1つは人との出会い、もう1つはマネジメント経験の蓄積でしょうか。
1つ目ですが、5月に初めてワークショップを企画した際に、近畿地区研究会および中部・北陸地区研究会との共催の形をとったため、名古屋付近のみなさまとお近づきになれました。
この名古屋組には今でも非常によくしていただいてまして、なんと大学院に合格した際にはお祝いまでしてもらいました…ありがたい(定員5名のところ2名の受験者しかいなかったから…祝ってもらうことなのかどうか…)。
また、5月のときは講師として2名の先輩をお招きしました。お招きした方のうちおひとりの当日の様子が記載されたブログはこちらです。(少し中身が盛られていますが笑)
大学職員「道」!? : 大学行政管理学会_中部・北陸地区研究会、近畿地区研究会、大学改革研究会合同企画_第1回若手職員ワークショップ
このように、自分たちで企画して何かをやる、という面白さに加えて、それによってふつうに過ごしていると出会えない人と出会える、ということは大きなメリットした。
以前から感じていることですが、いわゆる「人脈」を作るときに、飲み会や名刺交換はほとんど意味をなさないと思います。それは単なる「人づきあい」に留まります。
何かを一緒にやって苦労をともにすることで、初めて「脈」になるような気がしています。
さらに、自分が企画をしますので、講師は自分が話を聞きたい人を呼ぶことができます。そうした方との事前打ち合わせ等を通じ、企画者の特権で、講師と最も深く関わることができます。一参加者として当日に来て名刺交換するのとでは、利得の点で雲泥の差です。
こうしたメリットを最大限享受するため、私が入った企画では、講師の方をお客様として招くというよりも、一緒に企画を作り上げてもらえたら嬉しい、というイメージを持っていたつもりです。その過程で、実は一番得をするのは参加者ではなく企画者である、ということを学んだわけです。
メリットの2つ目は、マネジメント経験の蓄積です。
今年度自分が担当した企画は2回ありましたが、企画代表者かどうかという立場とは無関係に、腐心したのは企画担当者の良さをどのようにして引き出すのか、ということです。
それぞれ仕事を持っていますので、みんな忙しいです。そうした中、どのようにそれぞれの良いところを出してもらい、楽しくコミットしてもらうか、というのは相当難しいし力量が問われると思いました。
思ったのは、「組織の中で働くのは楽なんだなあ」ということです。何しろ、みんな仕事でやっていて、おのおのの部局の役割がありますので、「やらなければいけない」状況にあるのが組織(つまり、ふだんの職場)だからです。一方、外部の研究会にこの条件はありません。当たり前ですが、働いたことに対する金銭的報酬もありません。だから本当に難しいです。
こうした場を経験していると、例えば、これからの時代、リーダーシップは各々のやり方でみんなが持った方がよいということや、強権的に意義を振りかざしてもうまくいかないということ、などいくつかの持論が生まれます。職場よりもある種厳しい条件下におけるマネジメント経験の蓄積は、必ず職場でも生きるだろうと感じています。
こうした2点のメリットによって、自分の中で確実に小さくなったものがあります。それは、「職場に対する愚痴や不満」です。
「うちの組織のこういうところはダメなんだ」とか、「誰誰は~○○だ。もっとこうすべき。上司は○○だ~学長は~」とかいう話題は、どのような職場でもあるかと思います。私も大学改革研究会に参加するまでは、そうした愚痴や不満を、ある種の自信を伴って吐いていました。
しかしながら、そのような愚痴や不満を吐くことは、今ではほとんどなくなりました。不思議なことに、とても冷静に、かつ楽ちんな心もちになっているのです。
外部の同世代の職員と積極的に関わってわかったことは、抱えている問題はどこの大学であっても大差ないということがまず一つです。次に、「うちの職場も捨てたものではない」ということです。2点とも、自分の職場を相対的に評価できる状態になって初めてわかることです。
自分の職場に愚痴や不満がある方も多いと思います。でも、その愚痴や不満、その問題の本質は、どこの大学でも大差なく抱えているものですよ、ということが今ではほぼ断言できます。所属の組織に愚痴や不満がある人は、実は自分の職場を過剰に評価しすぎているのです。どこであっても大差ありません。
また、今の自分の職場ですが、やりたいと思ったことは基本的にやらせてもらえます。裁量もとても大きいです。役職がないと裁量がない、なんてことはありません、むしろ役職がない分自由に動けて、裁量が大きい気すらします。縛られたり、囚われたりするような感覚も、他の大学の話を伺っていると、全然ないと言っていいレベルです。基本的に応援してもらえます。
強いて悪い見方をすると、無関心なのかもしれません。でもですね、関心を持たれるというのにも色々なレベルがあって、本質的に興味はないのに関心だけは持たれる、あるいは、自分のことを考えてくれているようでいて、その実自己愛に基づく関心を持たれる、こういったことほど迷惑なものはありません。うちの職場はそういうものは相対的に少ないので、とても助かります。
もし、抱えている問題がどこの大学でも大差なく、自分のいる環境が相対的に良いものであるならば。大切になってくるのはなんでしょうか。私は「個の力」だと思いました。自分の実力がどうなのか。それが全てです。組織ではなく個が全て。だってどこも同じなんだから。そして、その個を生かすのに十分な今の職場に一定の感謝をしよう。そういうことを思うようになりました。

参加したデメリット

これはもうはっきりしていまして、プライベートがほぼなくなったことです(笑)最近では、仕事と私生活を分けるのではなく、むしろ溶け合わせた方がよいと考えているので、別にいいのですが、それにしてもちょっと働きすぎだなと思うことはあります。ちょくちょく体調を崩したりもします。
意識的に休めるかどうか、という点が今の最大の課題です。健康でないと、パフォーマンスが安定しませんので。食事・睡眠・休息、このあたりを十分に確保しなければ、なかなか安定しません。特にここは来年の宿題にしたいと思います。