松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

永井道雄(1965)『日本の大学:産業社会にはたす役割』(中公新書)を読了

標記の本を読了した。

日本の大学で働くものの一人として、ここ数年間、私の頭を去らないのは、大学の現状はこれでよいのかということである。教育の内容も充実していないし、大学や学生の数が多いわりには、世界的な研究の成果に乏しい。そのほか、人事の面での学閥主義、研究教育計画の不足など、眼につく欠点はあまりにも多いのである。

現代の記述かと思ってしまうが,これは1965(昭和40)年発行の同書の冒頭の記載である。

章立ては次のとおり。

Ⅰ.大学の現状
 繁栄のなかの危機
 工業化社会の大学
 日本の大学―その特色
Ⅱ.大学の歴史
 創設期(明治―大正初期)
  国家の大学
  私学の誕生
 大学の変貌
  拡張の時代(大正七年―第二次大戦)
  膨脹の時代(占領期以後―)
Ⅲ.大学の役割
 研究―模倣から創造へ
  模倣による経済成長
  模倣文化の性格
  創造の条件
  二つの文化
 専門教育
  三つの問題点
  米ソの専門教育
  ゆがめられた競争
  専門教育の強化
 教養―人間形成
  教養とは何か
  解放の教育
  世界のなかの日本
  教養課程の強化
Ⅳ.再建への道
 問題の所在
 自治と計画
 再建のための提案

まず第1章では,当時の日本の大学が史上「もっとも深刻な危機」(p.4)に直面していることを指摘する。理由を(1)教師の待遇や研究費の不足(2)責任ある計画と実行のなさに由来する混乱,の2点に求めている。
続く第2章では,日本の大学の歴史を振り返る。
特に私学の誕生の項では,官学に比べて私学の経営が貧弱であり,そのこと自体が私学の独立を妨げたことに言及している。
第3章では,研究・専門教育・教養を大学の主要な役割と捉え,それぞれに関する歴史的経緯と現状認識を整理する。
特に専門教育では,(1)計画の不足(2)社会的貢献を行う手段であるはずの学歴や就職の目的化(3)「専門」観念の不確立,が「3つの問題点」と指摘される。
最終章では,日本の大学の歴史的危機と,そうであるからこその岐路に佇んでいることを再度回顧し,計画と責任ある実行の重要性を再度繰り返す。
その上で「再建のための提案」として,次の4点を示す(pp.160-171.から抜粋)。

(1)自治組織の確立
・個々の大学が歴史,立地条件,教授,学生,施設などを生かした個性をみきわめ,その線にそった長期計画を立てること
・旧制帝大をモデルとして画一化,均質化しないこと
・これらの実現をはかる「民主集中」の中央機関をもつこと
(2)私立大学の強化
・国庫補助の増額によって「精神は私立,財政は国家」というイメージを描き,学生の負担もゆくゆくは国立なみに減額すること
・これに先立ち,私学が責任ある計画を立てること
(3)事務機構の改革
・教育,研究以外の仕事に教授が忙殺されぬよう,一般行政から区別された教育行政を設けること
(4)公平な競争の実現
・日本の大学の人事における終身雇用,年功序列は旧時代のものであるので,新たな時代にふさわしい方法で評価を行うこと
・東の東大,西の兄弟のようなピラミッド構造ではなく,組織間における公平な競争も担保すること

4つの提案を踏まえて最終的に筆者が語るのは,「「大学とは何か」という基本的な問いに立ちもどることの重要性」(p.170)であった。
繰り返しになるが本書は昭和40年の,設置基準の大綱化も国立大学法人化の影もない時代のものである。
しかしながら,読みながら違和感を覚える点はほとんどなく(※あえていえば,待遇の問題は部分的には改善されているように思う。しかし,組織間格差や世代間格差,身分格差等,別の形で表出していると考えれば,問題そのものは現在も生きている),そのこと自体が新しい問題であるように思えた。
大学関係者必読の本であるように思う。

日本の大学―産業社会にはたす役割 (中公新書 61)

日本の大学―産業社会にはたす役割 (中公新書 61)

アーノルド・ピコ―,ヘルムート・ディートル,エゴン・フランク(2007)『新制度派経済学による組織入門:市場・組織・組織間関係へのアプローチ』(白桃書房)を読了

標記の本を(十分ではないのだが)読了した。
自分が特に精読したかったのは,組織の経済理論の「新制度派のアプローチ」(pp.46-148.)である。
本書で示されている新制度派経済学のアプローチは,(1)プロパティー・ライツ理論(2)取引費用理論(3)プリンシパル・エージェント理論,の3つである。
このうち,(1)が初耳であったので,理解するのに苦労した。要するに,財の価値は物理的特性だけではなく法的特性の規定も受けるということのようである。

新制度派経済学による組織入門―市場・組織・組織間関係へのアプローチ

新制度派経済学による組織入門―市場・組織・組織間関係へのアプローチ

  • 作者: アーノルドピコー,エゴンフランク,ヘルムートディートル,Arnold Picot,Egon Franck,Helmut Dietl,丹沢安治,宮城徹,榊原研互,田川克生,小山明宏,渡辺敏雄
  • 出版社/メーカー: 白桃書房
  • 発売日: 2007/05/01
  • メディア: 単行本
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高橋伸夫編著(1999)『生存と多様性:エコロジカル・アプローチ』(白桃書房)を読了

標記の本を読了した。
本書は企業の生存(寿命)と多様性(多角化)について経営学のアプローチから論じるものである。
用いているのはイベント・ヒストリー分析は,経営学の分野では組織生態学における,組織の死亡率を扱う研究で用いられてきたらしい(p.76)。

生存と多様性―エコロジカル・アプローチ (ORANGE)

生存と多様性―エコロジカル・アプローチ (ORANGE)

楠木建(2010)『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(東洋経済新報社)を読了

標記の本を今更ながら読了した。
本書では「戦略ではないもの」(p.109)を抑えた上で,戦略(「持続的な利益」p.163)を考えるという構造をとっている。
その前提として,競争戦略の課題は「 競争があるにもか変わらず儲かるという不自然な状態」(p.111)であると言う。
そして,ストーリーというのは動画であるので,静止画から動画へ,組み立ての転換をしなければならないのであると述べる(p.171)。
動画を組み立てるときのポイントは,人間の本性(p.288)*1を捉えること。
そのほかにも,一見して非合理であることが重要であること(p.323),追いつこうとすると自滅すること(p.370)等,印象に残る記述は多くあった。

*1:なんとなく,人間がもつ普遍的な欲求である」「インサイト」に似た概念だなと思った。)

戸村理(2017)『戦前期早稲田・慶應の経営―近代日本私立高等教育機関における教育と財務の相克―』(ミネルヴァ書房)を読了

標記の本を読了した。
本書は早稲田と慶應の経営について,資金の調達と配分を歴史的に考察しつつ,それらが教育機能の発展といかなる因果で成立しえたのかを実証したものである。
対象の時期としては「明治後期から大正期」が設定されているが,これは「創立当初の家塾的性格を脱し、経営構造を近代化させていった期間」(p.5)であり,「大学経営の原初的段階」(p.308)に位置づく。
機関財務の発展を総体的に捉えながら,とりわけ専任教員の雇用と人件費の抑制の「相克」をどう解決したかについて,教育課程との関連から分析が試みられている。
第1の分析課題は,機関レベルでの管理運営組織と財務構造の発展過程を明らかにすることである。
早稲田と慶應の共通点は,規模を拡大させたことであるという。
一方相違点としては,慶應が幼稚舎から大学までの「タテ」を重視した経営行動をとり,病院経営による財源の多様化を目指した一方で,早稲田は専門部や系列する中等後教育機関の「ヨコ」を重視し,かつ学納金に依存した均質な財源状況にあったことを示す。
第2の分析課題は,人件費である。
特に教員については,共通点として専任教員数を多数雇用することを挙げる一方,相違点としては,慶應は理財科偏重であるが,早稲田に格差は薄かったことを指摘する。
第3の分析課題は,寄附金である。
両社の共通点は資産形成に必須であったことだが,相違点としては,慶應は計画がほぼ実現したこと,また卒業生等による寄附が中心であった一方,早稲田では計画が達成できず,また寄附の中心も非卒業生であったことを挙げる。
このような分析を通して,公的助成に期待できない「非官立大学モデル」(p.310)の経営行動を「「苦難」の一言で片付ける」(p.9)のではなく,コンフリクトと共に描き出す。

本書を拝読しようと思った契機は,昨年の高等教育学会の研究交流集会で,著者のご発表を拝見したことにある。
また,博士論文がもとになっている書籍なので,自身の執筆に参考にさせていただこうという思いがあった。
しかし,正直言って膨大な史資料に圧倒され,自分にこのレベルは難しいという気持ちになった。
たとえば分析に用いられている史資料には,機関レベルのものだけではなく,個人レベル(自伝,回想録,給料帳,授業の負担時間表など)の教職員給与や寄附募集に関するものが用いられている。
丹念という段階ではすまない,集めるだけでも倒れそうな量と質である。それが歴史研究の特徴であったとしても,別の方法論で自身に同様のことができるかというと,まったく心許ないというのが率直なところである。
ただ,本書も自身の関心に枠づけることが可能であり,そういう意味でも勉強になった。
たしかに本書は歴史研究ではあるのだが,私立大学の支出の大半が人件費であること(これによって,アウトプットとしての人件費が重要となること)や,ST比と教育課程の関連を分析する必要があること,寄附金等の資金調達が主要な財源の一つであること等,現代との共通項が多く見出せそうな気がした。

章立ては以下のとおりである。

序章「大学経営」を視る
第1章 早稲田・慶應の発展過程
第2章 早稲田・慶應の財務
第3章 慶應教員の処遇
第4章 慶應の寄附募集
第5章 早稲田教員の処遇
第6章 早稲田の寄附募集
第7章 早稲田・慶應の事務機構の発展と職員の処遇
終章 大学経営の萌芽

五島綾子(2007)『ブレークスルーの科学』(日経BP社)を読了

標記の本を読了した。
本書の問題意識は,「日本にはブレークスルー(革新的・独創的)の科学研究のシーズが生まれているのに、育てられていない」(p.4)という一言に集約されよう。
その上で,ブレークスルーのシーズを産む場所としては,分野の最先端と,分野と分野の隙間の2か所であることが示されている。
筆者の主張は,分野間の学際的研究を成功させるのは難しいが,個々に確固たる専門領域があること,そして異分野のコミュニケーション能力があることが重要であると指摘する。
また,基礎研究を成功させるためにはむしろ「この研究が役に立たない」という前提に立ち,時間的猶予(本書では「間」と表現されている)を研究者に与え,セレンディピティに期待すべしということを,白川先生の研究を辿ることで提示している。
本書で述べられているようなことは,おそらくは科学の世界では自明である。
では,なぜ「役に立つ」ことを過剰に求められたり,「間」がどんどんなくなっていったりするのか(それが自らの首を絞めるにも関わらず),という点が問題であるように思う。

ブレークスルーの科学 ノーベル賞学者・白川英樹博士の場合

ブレークスルーの科学 ノーベル賞学者・白川英樹博士の場合

片山悠樹・内田良・古田和久・牧野智和編(2017)『半径5メートルからの教育社会学』(大月書店)を読了

標記の本を読了した。
本書に通底しているのは学校で当然と考えられていることを問い直す(「教育の「当たり前」を問い直す」)ことである。
テーマとしては初等中等教育を基点としつつ,大学への進学(学力)やいじめ,少年犯罪等,学校や若者を取り巻く身近な(まさに半径5メートルの)ものを取り上げている。
大学生を主要な対象と想定されているが,教育社会学の主要概念が個々のテーマとともに平易な表現で解説されており,大変勉強になった。

半径5メートルからの教育社会学 (大学生の学びをつくる)

半径5メートルからの教育社会学 (大学生の学びをつくる)