松宮慎治の憂鬱

タイトルは友人が考えたもので,某アニメのことはわかりません。

菊澤研宗(2011)『改革の不条理:日本の組織ではなぜ改悪がはびこるのか』(朝日文庫)を読了

標記の本を読了した。
あなたもなぜ,「この組織では,このようなバカな(’不合理な)ことが行われるだろう?」と思うことがあるだろう。
本書は,むしろ実はそれは個人が合理的に行動した結果であることを,新制度派経済学の側面から描くものである。
筆者が挙げる不条理は,以下の3つである。

①「全体(社会)合理性」と「個別(私的)合理性」の不一致によって起こる不条理……たとえば、個人(あるいは組織)が全体(社会)合理性を捨てて個別合理性を追求し、結果的に失敗する。  
②「効率性」と「正当性(倫理性)」の不一致によって起こる不条理……たとえば、個人(あるいは組織)が正当性を捨て効率性を追求し、結果的に失敗する。逆に、効率性を捨て正当性を追求し、結果的に失敗する場合もある。
③「長期的帰結(利益)」と「短期的帰結(利益)」の不一致によって起こる不条理……たとえば、個人(あるいは組織)が長期的帰結を捨て短期的帰結を追求し、結果的に失敗する。

こうした不条理について具体例を交えながら,わかりやすく解説する。
たとえば,信望の厚い社長は社員を説得する取引コストが高すぎるので,結果的に改革を行えないこと等はわかりやすいし,大学や教育にまつわる例示もある。
本書の特徴は,わかりやすさに加えて,処方箋が記されていることにある。
すなわち,

これまでたくさんの事例を見てきたが、ある意味で、改革とは「空気に水をさす」行為にほかならない。空気とは、組織内の取引コストを考慮しながら損得計算し、社会的には不正であり非効率的であるが、所属する組織が損をしないように振る舞う人間たちによって生み出される集団的なやましき沈黙である。 そして、改革者はこの「空気に水をさす人物」でなくてはならない。

というのである。
そして組織としては,以下のようである必要があると明言する。

予防的に改革の不条理を回避するために重要なのは、「組織のリーダーやメンバーたちが自分たちの限定合理性を認識し、批判的議論を展開し、絶えず組織を改善し、絶えず戦略を変更し、絶えず流れているような組織を形成する」ことである。そうすれば、そもそも大改革など必要ないのだ。 もし組織のメンバーが傲慢にも自分たちが限定合理的であることを忘れてしまうと、批判を拒絶する「閉ざされた(傲慢)組織」が形成される。そして、流れはよどむことになる。 するとしだいに、非効率・不正が時間の経過とともに徐々に蓄積され、大きくなる。そして、その非効率や不正が無視できないほど大きく、深刻になったとき、組織は大改革に迫られる。しかし、このとき大改革を行うには膨大な改革コストが発生する。このコストの存在を考えると、人間は他律的に不正や非効率的な現状に留まることが合理的だという「改革の不条理」に陥ることになる。さらに、不正や非効率の存在を隠すために変革するという「改悪の不条理」に陥ることもある。

フローが途切れない組織とは、「批判的議論が常に行われている組織」のことである。フローであり続けるとは、「仮説的で暫定的な組織行動」と「実在世界」との乖離を絶えず縮小しようとすることであり、それは批判的議論によって達成されることになる。 批判的議論とは、先に述べたように「どこまでが正しくどこまでが正しくないのか」を確定する人間の実践理性的な活動である。哲学者のポパー(K.R.Popper)的にいえば、批判的というのは合理性的(つまりカント的実践理性に合う)と同意である。それゆえ、彼は自分の立場を「批判的合理主義」と呼んだ。

以上のことを読者なりに解釈すれば,開放的で,批判的で,小さな改善を積み重ねることが重要であり,他律的であることよりも自律的であることが重要,ということになろうか。
新制度派経済学は理論的には難解であるが,その難しさをかみ砕いて,誰にでもわかるように書いてくださった,おすすめの書である。
制度論はこのように制度の視点から,問題そのものが構造的に生まれている(そしてそのことを前提としてアプローチする)という価値観を底にもっていて,自分の好みに合う考え方である。