松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

『その街の子ども』を見て

NHK総合で放映されていた標記のドラマを拝見しました。
阪神大震災から15年たった神戸の街で、2人の男女が当時の記憶や現在の思いを語り合いながら、ひたすら夜通し、東遊園地まで歩く、というストーリーです。
全く期待せずに見たのですが、森山未來佐藤江梨子も、自然で見事な演技でした。
2人とも実際に震災を経験され、かつ実年齢で出演しているようです。そのことによって、実と虚が微妙に入り混じり、かつ短くキレのある作品になっていると思いました。最後の東遊園地の場面は、当日の朝撮影されている、ということもウィキペディアからわかりました。製作者のこだわりがすごいですね。再度見るに堪えうる作品というのは、やはりNHKが作ってくるなという感想です。
まるで台本がないかのよう。特に居酒屋で2人が語るシーンは、ドラマではなく、普通に会話をしているような演技、カメラワーク、雰囲気を持っていました。
それから、東遊園地に足を踏み入れなかった森山未來の表情。本当に見事な作品でした。
おそらく、今年が阪神大震災から20年たった年なので再度放映されたのでしょう。20年といういわば節目の年であることも、この作品を見るまで気づきませんでした。

阪神淡路大震災のとき、私は小学校3年生でした。
いや、自分では小学校4年生だったと今日の今日まで思いこんでいたのですが、、作品を見ていて、間違いに気づいたのです。
森山未來が、「震災のときは、小4だった」と言っていたので。俺と森山未來は同い年じゃなかったはずだよなあと思って。
当時のことと言えば、大変なことが起こったということがわかっていた程度で、それ以上のことは何も覚えていません。
住んでいた地元の京都府八幡市も、震度6~7くらいは揺れましたが、周囲で誰かが亡くなったというような話はありませんでした。
たしか、神戸から避難?して、しばらく同じ小学校で過ごした同級生が1人いたと思います。別のクラスでしたが。
それから、テレビの画面で見た阪神高速がぶっ倒れている映像、あれは覚えています。
また、母親が「神戸には行きたくない」と言っていたことも覚えています。私の両親は、結婚前は母が岡山、父が京都で、ちょうど神戸で会っていたから、震災後の街を見たくない、ということをそのとき言っていたように思います。

とはいえ、ほとんど何も覚えていないに等しい、と今思い返しても思います。
自分と神戸との関わりでいえば、中2のときの校外学習で、神戸にきたこともあります。
あのときは、事前に震災のことをすごく勉強させられて、実際に行ったときに、「神戸の街は震災から復興したと思いますか?」というインタビューを待ちゆく人にする、という課題が班に与えられていました。今思うと、あのインタビューは「復興なんかしていないよ」という回答を誘うような、ある種のミスリーディングを孕む質問だったと思いますし、実際にそうした回答しかありませんでした。あるいは、付き合っていた女の子とルミナリエに行ったこともあります。でも、その程度の記憶しかありません。

私はいま神戸に住んでいるので、あの震災が、神戸の方にとって特別であることは、頭では理解しています。
ただ、自分にとってはどうしても遠いです。そのとき子どもだったし、住んでいる場所も違ったし。
もう神戸に住んで7年が経つのに、なかなか馴染んだり、愛着を持ったりすることができません。
震災を遠く感じる、ということが、その一つの象徴だと思います。
こんな私は冷酷なのでしょうか。
神戸に住んで、神戸の大学で働きながら、阪神淡路大震災のことについて、何か含蓄のあることが言えません。むしろ自分の身に引き寄せて捉えられず、街にもうまく愛着が湧かず、というのが正直なところです。
それはやっぱり、神戸の街やその息遣いを、自分の血肉として吸収していないからだと思います。
神戸の大学で働く者としても、1人の人間としても、大いに問題がある態度だという気がしますが、結局7年たってもずっと同じです。どうすればいいのでしょうか。全然わかりません。