松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

『その街の子ども』を見て

NHK総合で放映されていた標記のドラマを拝見しました。
阪神大震災から15年たった神戸の街で、2人の男女が当時の記憶や現在の思いを語り合いながら、ひたすら夜通し、東遊園地まで歩く、というストーリーです。
全く期待せずに見たのですが、森山未來佐藤江梨子も、自然で見事な演技でした。
2人とも実際に震災を経験され、かつ実年齢で出演しているようです。そのことによって、実と虚が微妙に入り混じり、かつ短くキレのある作品になっていると思いました。最後の東遊園地の場面は、当日の朝撮影されている、ということもウィキペディアからわかりました。製作者のこだわりがすごいですね。再度見るに堪えうる作品というのは、やはりNHKが作ってくるなという感想です。
まるで台本がないかのよう。特に居酒屋で2人が語るシーンは、ドラマではなく、普通に会話をしているような演技、カメラワーク、雰囲気を持っていました。
それから、東遊園地に足を踏み入れなかった森山未來の表情。本当に見事な作品でした。
おそらく、今年が阪神大震災から20年たった年なので再度放映されたのでしょう。20年といういわば節目の年であることも、この作品を見るまで気づきませんでした。

阪神淡路大震災のとき、私は小学校3年生でした。
いや、自分では小学校4年生だったと今日の今日まで思いこんでいたのですが、、作品を見ていて、間違いに気づいたのです。
森山未來が、「震災のときは、小4だった」と言っていたので。俺と森山未來は同い年じゃなかったはずだよなあと思って。
当時のことと言えば、大変なことが起こったということがわかっていた程度で、それ以上のことは何も覚えていません。
住んでいた地元の京都府八幡市も、震度6~7くらいは揺れましたが、周囲で誰かが亡くなったというような話はありませんでした。
たしか、神戸から避難?して、しばらく同じ小学校で過ごした同級生が1人いたと思います。別のクラスでしたが。
それから、テレビの画面で見た阪神高速がぶっ倒れている映像、あれは覚えています。
また、母親が「神戸には行きたくない」と言っていたことも覚えています。私の両親は、結婚前は母が岡山、父が京都で、ちょうど神戸で会っていたから、震災後の街を見たくない、ということをそのとき言っていたように思います。

とはいえ、ほとんど何も覚えていないに等しい、と今思い返しても思います。
自分と神戸との関わりでいえば、中2のときの校外学習で、神戸にきたこともあります。
あのときは、事前に震災のことをすごく勉強させられて、実際に行ったときに、「神戸の街は震災から復興したと思いますか?」というインタビューを待ちゆく人にする、という課題が班に与えられていました。今思うと、あのインタビューは「復興なんかしていないよ」という回答を誘うような、ある種のミスリーディングを孕む質問だったと思いますし、実際にそうした回答しかありませんでした。あるいは、付き合っていた女の子とルミナリエに行ったこともあります。でも、その程度の記憶しかありません。

私はいま神戸に住んでいるので、あの震災が、神戸の方にとって特別であることは、頭では理解しています。
ただ、自分にとってはどうしても遠いです。そのとき子どもだったし、住んでいる場所も違ったし。
もう神戸に住んで7年が経つのに、なかなか馴染んだり、愛着を持ったりすることができません。
震災を遠く感じる、ということが、その一つの象徴だと思います。
こんな私は冷酷なのでしょうか。
神戸に住んで、神戸の大学で働きながら、阪神淡路大震災のことについて、何か含蓄のあることが言えません。むしろ自分の身に引き寄せて捉えられず、街にもうまく愛着が湧かず、というのが正直なところです。
それはやっぱり、神戸の街やその息遣いを、自分の血肉として吸収していないからだと思います。
神戸の大学で働く者としても、1人の人間としても、大いに問題がある態度だという気がしますが、結局7年たってもずっと同じです。どうすればいいのでしょうか。全然わかりません。