松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

4ヶ月ぶりに東京に行った

全私教協の委嘱された部会の会議があって、4ヶ月ぶりに東京に行った。
土曜日のことだ。
4ヶ月も東京に行かなかったのは、久しぶりのことだった。
なにしろ、2013年から課程認定の仕事や、それこそ全私の委員会等で、1ヶ月に1回は東京に行っていたので。

久しぶりに行って思ったのだが、やはり東京は楽しい町だ。活気がある。
たとえば吉祥寺とかはいい雰囲気だ。
あと、行ったところがあるところとしては、都電荒川線沿線がすごくよかった。
行った土曜日は、ちょうど隅田川の花火大会の日で、だからちょっと浮ついた感じもあった。
自分は京都府で生まれ育って、そのあと神戸に住んで、まあいまは半分は東広島に住んでいるので、どちらかといえば生活が西に寄ってきた。
学生のとき付き合っていた女の子が、東京で働きたいと言っていて、ぼく自身は変な対抗意識もあって、そのときは、「は?俺は関西が好きやし」などと思っていた。
でも、働き出してみたらわかったのは、東京以外は全部「地方」だ、ということで、そこには圧倒的な差があるということだ。
特に大きな差は、やはり情報と文化にある。
いずれも、東京にいればアクセスが容易なものが、地方にいると一苦労だ。
京都や神戸でさえそうなのだから、もっと地方となれば、さらにそうだろう。
これは良し悪しではなく、事実である。

そののち、「とはいえ、場所にこだわるのは詮無いことだな」という気分になった。
だからこそ、いま東広島に通えている。
大切なのは、場所ではないのだ。
内容に応じて場所を選択できるという、その軽さが重要だと感じるようになった。
そう思えるのは、毎月毎月新幹線で東京に行くようになったからだ。
それだけ通っていると、場所の感覚が麻痺するようになってくる。
都内に住んでいる人だって、そう頻繁に東京のど真ん中に行くわけではなかろうと思った。
さらにいえば、神戸から札幌は東京より遠いが、東京より安く、早い時間で行くことができる。
仙台も然りだった。
そうなってくると、問題は場所ではなくて、移動手段と金銭と時間のコストの問題になる。
低コストで地方に住みながら、ときどきさまざまな場所に行くのは楽しい。
場所に縛られて、内容を捨ててしまうことほど悲しいことはない。
ひょっとすると、いつか首都圏に住むようなこともあるのかもしれない。
しかしながら、そのときにはまた、軽い感覚で京都や神戸や広島に行くだろう。