松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「パッと言えてしまうようなこと」の重要性

「パッと言えてしまうようなこと」

以下の記事を拝読した。
パッと言えてしまうようなことを言ってみる:8月5日朝日朝刊「折々のことば」に寄せて | 群衆の居場所
こちらで述べられていることは,「パッと言えてしまうようなこと」が卑下されつつ,互いに「大したはことない」と言い合う空間の居心地の悪さである。

いまこの言葉に接して、むしろより強く異論を唱えたいのは、「パッと言えてしまうようなこと」の方である。たしかに「パッと言えてしまうようなこと」には、この国の場合、場の空気を読んだり場を占拠したりするための、イス取りゲーム的発言が含まれるが、それ以上に、最初の違和感をまず言葉にしてみたい、その言葉を皮切りに思考や議論をスタートさせたい、といった衝動に駆られたものの方が多いように思う。だから自由で民主的な公共圏(コミュニケーションの総体)には、皆が「パッと言えてしまうようなこと」をパッと言い合うことが絶対的に必要で、逆にそれを抑止するのは、押し黙った皆の前に、満を持して支配的な言葉を述べたがる、専制者のメンタリティだ。

思考する際に,「パッと言えてしまうようなこと」は実はかなり重要である。
自分自身も,ミーティング等で思いついたことをできるだけすぐにそのまま出すようにしている。
というのも,頭に浮かんだものはそのままにしていると流れてしまうからである。
掴んでしまわないと,流れてしまう。
そのためには,思いついた時点ですぐに言葉に出さねばならない。

頭に浮かんだことは厳密にはそのまま掴むことはできない

しかしながら,思いついた時点ですぐに言葉に出したとしても,頭に浮かんだものをそのまま掴んだことにはならない。
なぜなら,思いつきをすぐに言葉にするというプロセスは,
・「すぐに」と言ってもそこには時間差がある
・言葉でしか表現できない時点で,語彙力の制約を受ける
からである。
頭に浮かんで言葉にする間に,カンマ何秒か時間がかかるから,その間に抜け落ちるものがある。
また,言葉で全てを表現できる人間はいない。この限界を超えるには,人間の脳を繋いで通信で交信するしかないのである。
そんなわけで,思いついてすぐに言葉にしても,掴んだことにはならない。
いわんや,言葉にさえしなければどうなるのか,ということである。
周囲の人間にとってみれば,思いつきをポンポン口に出されるようでウザいかもしれないが,思ったことすら口に出せないようでは,思考実験はいつまでも進まないのである。