松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

教職課程再課程認定のための新旧対照表の様式(仮)について

またしてもグッジョブを先越されてしまいました。
以下のブログで自作のフォーマットが提供されています。
私も、なかなか提供されそうにないから、作らなければとは思っていました。
しかし、いやだなあと思っていたし、作ったとしても公開しようとまでは思っていませんでした。
後段の記述は内面の本音なのでしょうが、翻って実際の行動は、明らかに普通の人間には難しい貢献です。
自分も負けないように、何か考えなければ。
再課程認定に係る新旧対照表様式(仮)を作成しました。 - 大学職員の書き散らかしBLOG

ところで、上記のブログでもちらっと触れられていますが、今回のスケジュールは結果的にかなり厳しいものになってきた、と言わざるを得ません。
以前山下室長が、「前回の再課程のときよりも余裕をもってやりたい」と仰っていましたが、
教員養成改革の動向について(文部科学省からの情報提供) - 松宮慎治の憂鬱]
現実はむしろ前回よりも余裕がない、という状況になりつつあります。
理由は、今もなお手引きが暫定版であり、様式がアップされないまま説明会に突入しているためです。
なぜこのように後ろ倒しになったのか、それは施行規則の改正が遅れたからです。
(もちろん、このように単純な因果関係は仮定できないとは思いますが。他の要因があって施行規則改正が遅れているのかもしれませんので)
具体的には、当初2月に予定されていたものが、5月→6月→8月とドンドン後ろ倒しされてきました。
その一方で、お尻は決まっている状況があります。

その上で、私が提案する大学にとっての最適なスケジュールは、

1. 全国の各ブロックにおける全体説明会あとの、個別相談ブースを「事前相談」とみなし、

2. 10月から始まる本当の「事前相談」は、確認の場とみなす

というものです。
私は普段、通常の課程認定の仕事について、他大学の方等から「どの程度の時間が必要ですか」と問われたらときに、「最低半年」と答えています。
これは、平均的な能力の人が、他の仕事もやりながら、一生懸命頑張れば認定が下りるクオリティの申請書を提出できる、ギリギリの時間です。
再課程認定については、通常の課程認定とは様式も違い、考えることも違います。
みんなが初めてなので、誰もが手探りです。
したがって、確実に認定を下ろすためには、この半年に+αが必要です。
ということで、3月末に出すとすれば、上記のようなスケジュールが最適というのが私の結論です。
この場合、もっとも開催日の早い東京ブロックの説明会に参加することが有利と思われましたが、むしろ東京ブロックが最も不利であった、ということになりかねない現状です。
冒頭のブログの様式は、個別相談ブースで利用できると思うので、スケジュールの問題から非常に助かる貢献であった、ということが言えるのです。

教職課程再課程認定等に関する説明会@東京ブロック(7/10 月)の報告について

以下のブログで詳細に解説されています。ご確認ください。
このスピード感には脱帽です。

教職課程再課程認定等に関する説明会(東京ブロック・7月10日)に参加してきました。 - 大学職員の書き散らかしBLOG]

今回の全国説明会は、地区によって開催時期に2ヶ月弱の差があります。
また、全てのスケジュールが後ろ倒しになっていることもあり、行政の方も準備が追いついていない部分が多々あるようです。
そのような中、このように内容を迅速かつ正確に報告してくださることには、本当に敬意を表します。
というのも、このように内容を報告することは、個人にとってはリスクしかないからです。
(たとえば、万が一内容が間違っていたら?あるいは、職場から余計なことをするなと言われる可能性は?)
個人にとって得があるとすれば、公表するという圧を自分にかけることで、集中力が増し、いち早く内容をまとめることができる、といった程度です。

昨年末の説明会から、勤務先では私の判断で自身は参加せず、他の者に参加させています。
以後行われる各地の説明会にも、参加する予定はありません。
このため、このような貢献ができないことを申し訳なく思います。
本当は争うように記事をアップしたいところですが…笑
その代わりに、「サルでもわかる再課程認定シリーズ」を作ってみたいと思います。
ご期待ください。

今日は久々に学生と長く話した

今日は定時後に久々に学生と長く話した。
というのも、明日が神戸市と兵庫県の教員採用試験の一次試験だったからである。
その後思い立って、まずは現役の4年次生に対してポータルで応援のメッセージを送り、その後過去3年間の卒業生全員に同様のことを行なったあと、若干でも連絡のある学生には個別で激励の連絡をした。
今日はひょっとすると月末の金曜日で、プレミアムフライデーなるものなのかもしれないが、このようなことであれば夜遅くなっても気にならない。

たまにこのようなことをすると、つい最近の卒業生であってもずいぶん時間がたったような気持ちになる。
しかし、よくよくカウントしてみると2年程度だったりして、まだそれだけしか経っていないのかと驚くことがある。
年をとると時間の経ち方が早くなるというから、そうではなくて遅く感じるというのは、良いことなのだろう。
一方、書類仕事、学内調整のしごと、行政の仕事、遺漏なく、上手に、みたいな自分の普段の時間の使い方に、疑問も覚える。
果たしてこれは正しい時間の使い方なのかということである。
ぼくは、学生とじっくり話すときはこちらから切らないようにしていて、本人が満足するまで「話し切る」ようにしている。
カウンセリングの研修等では、時間を区切ることが推奨されるが、ぼくはカウンセラーではない。
カウンセリングを受けたいならカウンセリングルームに行けばいいのである。
またその際、いわゆる「指導」のようなことはしない。
教員ではない事務職員が学生と接する際の、最大の強みがフラットさであり、良し悪しの評価を行わないことにあると思うからである。
そして、そのように「話し切る」ためには、時間に余裕が必要だ。できれば、区切られることのない時間が。
だが自分の普段の仕事は、常に区切られている。
スケジュールアプリは色鮮やかな予定でいっぱいであり、メールには即レスをし、一瞬一瞬で判断を求められ、そしてそのこと自体(高いクオリティの仕事をハイスピードで行っているという自己認識)がある種の快感になってしまう。
学生を伸ばすというのは、本来そのような思考回路では成立しない。だが環境要因はそれを許さない。
学生と話しながら、常にそのような問いが自分の頭を巡った。
自分の時間使い方は、正しいのか。おそらく間違っているのではないか。

実は今週末、過去に、具体的には25歳前後のときにボランティアに一緒に行った卒業生と食事に行く約束がある。非常にありがたいことである。
今度は彼らが25歳くらいになっており、驚きを実感する機会が与えられる、そうした時間の巡らせ方が自分には合っているし、よりこの仕事の本質的な部分ではないかと思う。

豊田秀樹著『もうひとつの重回帰分析』(東京図書)

先日発刊されたばかりの標記の本を読了した。
結論からいえば,本書を前提とすると,「多くのxを投入する重回帰自体,やめた方がいい」ということになるだろう。
ちょっと自分には難し過ぎたが,以下のようなことが書いてある(と理解した)。

①yをxで予測するといったときに,xの標準偏回帰係数が正の値だからといって,必ずしも正の影響をyに与えているとは限らない(一般にxの間には相関関係があるから)
②xが2つしかない場合は,完全な予測が可能だが,複数になると解釈が絶望的(かといってxを減らすと意味の薄い分析になる)
③この問題を解決するために,yを直交化する方法を提案する(統計手法を工夫してなんとかするのではなく,データの取り方を変える)

①については,数理的にはそうなのかもしれないが,自分のこれまで読んだテキストには,そのようなことは書いていなかった…。
マルチコがなければOKと書いてあるテキストもあるが,それは間違いとバッサリ切られている。
また,yとxの相関係数と,標準偏回帰係数とを明確に区別して解釈していない論文はダメだと書いてあるが,
誤用のないように解釈する具体例が書いておらず,「え~じゃあどうすればいいんやろ・・」という気持ちになった。
③については,なんとなく方法はわかったが,自分の研究課題に引き寄せた具体的なイメージがわからない。
さらに既にとってしまったデータに対しては無力と思われたので,非常に悩みが深くなってしまった。
これから先どうしよう……。

もうひとつの重回帰分析

もうひとつの重回帰分析

広島大学高等教育研究開発センター公開セミナー「「組織」としての大学:組織の中でどう向き合い、どう生きるか」について

こちらは日程的にうかがえそうもありませんが,8月23日(水)-24日(木)に開催されます。
例年広大の職員の方が多くお見えです。
(予告)平成29年度 高等教育公開セミナー「「組織」としての大学:組織の中でどう向き合い、どう生きるか」(8月23日(水)-24日(木))

宮本常一・安渓遊地著『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』(みずのわ出版)を読了

標記の本を読了した。
この本は,フィールドワークを行うにあたり,現地の方にいかに迷惑をかけてきたか,また迷惑をかけるとしたときにどのような迷惑のかけかたがありうるのか,といったことについて述べられている。
具体的には,「「調査をしてやる」という意識」(p.25)で研究を行ったり,現地の物品を資料として借りておきながら返却しない「略奪調査」(p.60)等が挙げられている。
また最終章では,「「研究成果の還元」はどこまで可能か」として,たとえば報告書を郵送するといった行為には一定の限界があること,また本来であれば,調査する側とされる側という二項対立ではなく,ある意味で一体となり,「研究成果の還元」が死語となることが望ましい(p.111)と論じている。
本書が扱っているのはフィールドワークなので,自身が用いている方法とは異なるが,調査されることの迷惑という点は共通している。
自身も修士のときに二度調査を行ったが,実際のところ迷惑をかけずに調査することや,さらにそれを協力者に適切に還元することは困難である。
なので,このような「迷惑」を肝に銘じながら,調査はできるだけしない(公表されているデータを二次利用する)ということを考えている次第である。

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本