松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

読了した文献(49)

◇古川雄嗣(2017)「「大学改革」におけるPDCAサイクルの批判的考察? : 導入過程の整理・検討」『北海道教育大学紀要.教育科学編』67(2),pp.1-13.
塩野宏(2014)「日本の行政過程の特色--大学設置認可過程(平成24年)を素材として」『日本学士院紀要』第68巻,第2号,pp.113-137.
◇島一則(2017)「国立・私立大学別の教育投資収益率の計測」『大学経営政策研究』第7号,pp.1-15.
◇山岸直司(2017)「成果重視の質評価に関する米国連邦教育省の高等教育政策―1980年代から90年代における検討―」『大学経営政策研究』第7号,pp.17-31.
◇木村弘志(2017)「大学職員のキャリア志向が学習動機に与える影響の分析―「大学を理解するための知識」を対象として―」『大学経営政策研究』第7号,pp.33-49.
◇菅原慶子(2017)「日本の大学草創期におけるUniversity Extensionの展開に関する考察―早稲田大学東京大学の比較から―」『大学経営政策研究』第7号,pp.51-67.
◇李麗花・福留東土(2017)「産学連携教育の教育的意義に関する考察―IT分野における事例分析を手掛かりに―」『大学経営政策研究』第7号,pp.71-87.
◇両角亜希子・長島万里子(2017)「保育の質に対する園長の専門性―保育に関する全国調査から―」『大学経営政策研究』第7号,pp.89-104.
張燕(2017)「韓国における大学によるプログラム留学―学生移動の実態分析から―」『大学経営政策研究』第7号,pp.105-120.
◇塩田邦成(2017)「学部新設に見る大学改革のマネジメント事例の研究―同志社大学立命館大学を事例に―」『大学経営政策研究』第7号,pp.121-137.
◇市川昭午(1990)「比較教育再考――日本的特質解明のための比較研究のすすめ――」『日本比較教育学会紀要』第16号,pp.5-17.
◇Gutmann, A.(1999).The Purposes of Higher Education. In Conrad. C. F & Johnson J. (Eds.), College & University Curriculum: Placing Learning at the Epicenter of Courses, Programs and Institutions, Second Edition, pp.7-20.
◇吉田文(2016)「教養教育の学習成果の測定は可能か ―2000年代のアメリカの取り組み―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.3-15.
◇小笠原正明(2016)「大学教育改革のトレンドと日本が目指すべき次世代の学士課程像」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.17-29.
◇渡辺美智子(2016)「教養教育としての統計とデータサイエンス教育の課題―意思決定を高度化する統計思考力の育成」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.31-39.
◇森田康夫(2016)「現代的教養としての数学教育」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.41-46.
◇羽田貴史(2016)「大学における教養教育の過去・現在・未来」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.47-60.
◇今野文子(2016)「大学院生等を対象とした大学教員養成プログラム(プレFD)の動向と東北大学における取組み」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.61-74.
◇北仲千里(2016)「科学論文における「不適切なオーサーシップ」調査に関する比較研究」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.75-86.
◇堀田智子・吉本啓(2016)「「不同意」行為算出における日本語学習者の意思決定過程―回顧的口頭報告データの考察―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.87-99.
◇王俊(2016)「優れた中国人非専攻日本語学習者の学習ストラテジー―日本語双学位学習者を対象に―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.101-114.
◇松川春樹・池田忠義(2016)「大学生における対人恐怖心性―聴覚投映法による検討―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.115-125.
◇長友周悟・佐々木真理・吉武清實・池田忠義・佐藤静香・松川春樹(2016)「大学生における障害学生支援の活動分類に関する研究」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.127-133.
◇小川晋・滝口純子・清水麻那美・奈古一宏・岡村将史・木内喜孝・伊藤貞嘉(2016)「肥満学生と糖尿病例における血中尿酸濃度の上昇とその利生的背景の比較解析」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.3-15.
◇葛生政則(2016)「2000年代のバーデン・ヴェルテンベルク州農業の状況」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.143-155.
◇副島健作(2016)「若者の地方共通語使用に関する一考察―沖縄地域のアスペクトの使用意識調査から―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.157-168.
◇鈴木学(2016)「「教員養成GP」における実践的指導力育成を目的としたプログラムの類型分析―教員養成カリキュラム多様化の萌芽として―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.169-180.
◇島崎薫(2016)「日本文化のクラスにおけるアクティブラーニングの実践:すずめ踊りプロジェクトでのアクション・リサーチを通した一考察」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.181-191.
◇森山美紀子(2016)「日本の学生による相互学習型授業における異文化理解活動の試み」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.211-222.

貫井徳郎著『後悔と真実の色』(幻冬舎文庫)

標記の本を読了した。
最初の方は一見通常の警察小説なのだが,途中からの急展開,さらに最後のどんでん返しには驚いた。
山本周五郎賞受賞作品。

後悔と真実の色

後悔と真実の色

 

堂場瞬一著『警察回りの夏』(集英社文庫)を読了

異常に警察小説が読みたくなって読了した。
警察回り担当の新聞記者がある事件を追っていて,より大きな圧力に飲み込まれてしまう話です。

警察回りの夏 (集英社文庫)

警察回りの夏 (集英社文庫)

佐藤綾子著『小泉進次郎の話す力」(幻冬舎)を読了

最近,自分がプレゼンを舐めすぎているなと感じていた。
つまり,ほとんど直前まで準備せず,出番の30分前くらいからどう話すか考え始めるようなことを最近はしていたからだ。
これには理由があって,学術の場だと結構,スキルに関係なく中身を評価してもらえるという安心感による。それ自体よくないことなのだけれど,そのことは非学術的な場でより先鋭化される。
最近では非学術的な場をあまり与えられておらず,再度自分の能力を見つめ直す必要性を感じていたのである。
そのこともあって本書を購入,読了した。
自分が無意識にやっていたようなことも理論づけされていて,大変面白く読んだ。
たとえば,その土地に合わせた話を冒頭にし,話す側と聞く側の溝を埋めるのは「ブリッジング効果」。
聞き手を主役に変える話法,原稿を見ない,間を置く,といったものである。

また,本書を読んでまったく自分の中にはなかった視点も得た。
それは,演説の最後に格調高い理念を示す,というものである。ただ筆者も,これは日本人には難しいと補足している。
本書ではオバマの演説を例にあげているが,最後に聖書を引用するというのは日本人にそのままあてはめることができないからだ。
では日本人はどうしているのかというと,歴史的事実やエピソードで聖書の代用をしているとのこと。
しかしそれでも聖書にはかなわないので,難しいという話である。
ここまで書いてきて思ったが,これも自分はやっているかもしれない。
意図はしていなかったが,最後に格調高いことは言いがちな気がする。
格調といっても,聖書の引用とか,歴史的エピソードの引用とかではなくて,自分の中での理念のようなもの。
たとえば,課程認定等の話題提供では,私立大学としてのプライドをもって,政策に受動的に応答するのではなく,積極的な取り組みを開発し,政策に逆輸入するという気概をもちたい,とか。
あるいは,京都の大学職員フォーラムで話題提供を行ったときは,冒頭で京都の私立高校出身であることを伏線として,最後にその母校にあったフランスの詩人の石碑を引用する,とか。

とはいえ,無意識にやるというのはやはり微妙で,ある程度言葉で理論づけられて,わかった上でやった方がいい気がした。
しかしそうすると,自分のプレゼンが言葉に規定されてしまって,余白のようなものがなくなってしまうな,という疑問ももった。
本書の購読では,このようなことを考える機会となった。

小泉進次郎の話す力

小泉進次郎の話す力

今井むつみ著『学びとは何かーー〈探究人〉になるために』(岩波新書)を読了

標記の本を読了した。この本はすごい。
筆者は認知科学言語心理学の研究者で,「学ぶとはどういうことか」ということを,きわめてわかりやすく解説している。
前段では,「そもそも知識とは何か」という問いから始まり,記憶とはどう違うのか,知識の体系はどうなっているのか,といったことについて,主に子どもが母語を習得する過程を通じて解説する。
後段では,前段で示された「知識とは何か」を前提として,それらを極めるにはどうすればよいのか,が解説されている。
端的にいえば,熟達者の最大の特徴は臨機応変であること,熟達者から超一流になるためには,臨機応変の延長線上の創造性があることが示されている。
少し長くなってしまうが,非常に印象的だったので引用してみたい。
まず熟達者についてである(pp.116-117)。

ただちに本質を見抜く力、臨機応変な応用力、普通の人には見えないものを見分ける識別力と、いま目の前には見えないモノ、コトの究極の姿を思い浮かべる審美眼。このような能力の背後にあり、すぐれた判断や行動を可能にしている心の中の判断基準を認知科学では「心的表象」という。この心的表象をより洗練された、よりよいものに育てていくことが熟達の過程なのである。

次に,超一流についてである(pp.199-200.)。

 第4章に書いたことの繰り返しになるが、一流になる人々は、どういうことができるようになりたいのか、一流のパフォーマンスは何なのかを具体的にイメージできる。つまり、自分の中で理想とするパフォーマンスが心の眼で「見える」。そして、そこに向かって自分が何をすべきなのかを考えることができる人々なのである。さらにそれを突き詰めると、的確な目標を持てるということは、
 ●その分野の超一流の人のパフォーマンスがどのようなものなのかを理解できる。
 ●いまの自分がどのくらいのレベルにあって、超一流の人たちとどのくらい隔たりがあるかわかる。
 ●その隔たりを埋めるためになにをしたらよいのかが具体的にイメージできる。
ということだ。自分が超一流になり、自分より上の人がほとんどいなくなっても、自分の中で、いまよりももっと上にいる自分、目指すべきパフォーマンスがイメージできる。自分が(そして他の人も)まだ到達していない地点が見え、そこに至る道筋が見える。それが超一流の熟達者と一流の熟達者の違いである。ここでいう「目指すべきパフォーマンス」や「そこに到達するための具体的な道筋や方策」が見えるようになるというのは、その分野の学習での多大な経験と深い知識が要求されることだ。

「超一流と一流の違い」などと言われるともはやわけがわからない部分もあるが(笑),こういったことについて科学的に分析されている,しかも読みやすい新書というのは大変貴重なように思う。
ひょっとすると専門の科学者の世界では当たり前のことなのかもしれないが,普通の人がそういうところにアクセスするのは難しい。
また一般的には,このような話は「才能」「センス」「努力」といったふわっとした言葉だけで語られてしまい,科学的な裏付けが無視される傾向にあると感じる。
その双方をつなぎ合わせるという点で,めちゃくちゃ面白かったし,貴重ではないかという感想をもった。

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)

小川正人著『教育改革のゆくえー国から地方へ』(ちくま新書)を読了

他大学の先生にツイッターでおすすめされて読了した。
帯には,センセーショナルに,「2000年以降、激動の理由 食いモノにされる教育行政」という言葉が踊っている。
本書では,55年体制にあって政府自民党が教育政策をどのように決定してきたのか,文部科学省の組織としての特質はどのようなものか,といったことを導入として,第2章からは,90年代からはじまった
「政治主導」についての解説へと進む。
端的にいえば,従来重視されてきた局を単位とする積み上げ型が旧システムとされ,集権化してゆく過程を描く。
また,そういったマクロな話に止まらず,第3章では義務教育における行財政システムが三位一体改革から受けた影響について,かなり詳細に分析している。
いわゆる地方分権改革については別の書籍で読んだことがあるので,大いに頭に入ってきた。

教育改革のゆくえ ――国から地方へ (ちくま新書 828)

教育改革のゆくえ ――国から地方へ (ちくま新書 828)

チャールズ・E・リンドブロム/エドワード・J・ウッドハウス著,藪野祐三/案浦明子訳『政策形成の過程ー民主主義と公共性』(東京大学出版会)を読了

標記の本を読了した。
本書を読んだ理由は,リンドブロムの提唱した「漸増主義(インクリメンタリズム)」について,基本的な確認をしておきたかったからである。
インクリメンタリズムというのは,端的にいえば政策形成過程において,すべての利害関係者の合意をとりつけることは不可能であるため,「少しの変更を繰り返す」ことにより,政治的に実現可能な決定を重ねていくことを指す。
わかりやすいのは予算で,予算額をちょっとずつ増やすことで改善を重ねる(ことにする)というものである。
このような方法の問題点は,現実解が最重要なので,抜本的な改善は不可能ということである。
まあこれは良いとか悪いとかではない。
それで,インクリメンタリズムは行政学の主要概念のようなのだが,少なくともこの本では中心的に扱われいない(と,自分は感じた)。
政策形成過程に広く焦点をあて,その中の一部のようにしか見えなかった。
このため,当該概念にあたるためには,たぶん英語論文にあたらないといけない。なので,以下にメモを残しておく。

Charles E. Lindblom, "The Science of ` Mudding Through '," Public Administration Review 19 (1959): 79-88


政策形成の過程―民主主義と公共性

政策形成の過程―民主主義と公共性