松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

佐藤郁哉編著(2018)『50年目の「大学解体」 20年後の大学再生:高等教育政策をめぐる知の貧困を越えて』(京都大学学術出版会)を読了

標記の本を読了した.序章と終章を含めると7章構成になっている.
我が国の大学「改革」の混迷や課題を指摘し,その合わせ鏡として英国の研究評価事業が必ずしもうまくいっていないことを示す.
本書は大学関係者ないし高等教育政策担当者にとっては,やや不満の残るものかもしれない.
というのも,書かれている内容は我々にとってほぼ自明だからである.
だが,本書の趣旨は,関係者にとって自明であることを,むしろ改めて示しておくことにあるという.
このことは,終章の以下の一文に表れているように思われる.

子どもたちの未来のために「大人げない話」をする

すなわち,大学「改革」の混乱は行政担当者や大学関係者にとって周知の事実であり,本書のような指摘は「大人げない」と言われるかもしれないが,そのようになんとなく覆い隠されてきた部分に意図的に光をあてないと,もはや立ち行かないと言うのである.
自身がより興味をもつのは,でななぜそのように混迷をきわめてしまっているのか(それぞれのアクターがそれぞれのポジションでベストを尽くしているはず,であるにもかかわらず),ということであるので,ややもすれば本書の内容はよくある文科省財務省悪玉論に見えなくもなく,そのあたりをどう深めればよいのかということを考えてしまったというのが正直なところである.
さりとて,では自身の周辺で混乱が真の意味で周知の事実になっているかというと必ずしもそうではないので,「あえてそこを照射するのだ,だって誰も何も言わないじゃないか」という叫びのようなものを感じた次第である.

序章 不思議の国の大学「改革」
第1章 「大学性悪説」による問題構築という〈問題〉
第2章 日本の大学は,なぜ変わらないのか?変われないのか?
第3章 大学の経営モデルと「国際化」の内実
第4章 英国の研究評価事業
第5章 個人的体験としてのREF
終章 啓蒙主義的教育行政を越えて