一昨日、昨日の続きです。
これも非常に重要な論点だと思うのですが、今津先生は「かたい学校tight system of the school」と「やわらかい学校loose system of the school」という2つの学校モデルを提示された上で、脱工業化社会では後者に向かうべきだとおっしゃっています。
説明の前段階として、有名な神戸高塚高校の校門圧死事件を引用しつつ、「抑圧性」「閉鎖性」「規則主義」「自己の無力化」を特徴とする「全制的施設」と、その対極である「自由性」「開放性」「非規則主義」「自己の発言」を特徴とする「非全制的施設」を示され、学校はこの両極の間のどこかに位置する、ということを述べられています。
が、単純に「全制的施設」「非全制的施設」と形容してしまうと、あたかも前者が絶対善、後者が絶対悪のように見えてしまうので、「かたい学校」「やわらかい学校」を使いたいという宣言がなされました。
「やわらかい学校」とは?
「やわらかい学校」の基本特徴は、「開放性」「柔軟性」「親密性」「自己改善性」の4つである、と指摘されます。
「開放性」は、地域社会への開放と学校施設の開放をさします。「柔軟性」は「開放性」と相互に関連するが、カリキュラムや学習方法、学校経営の柔軟性をさします。「親密性」は教師―生徒関係の親密性と教師―教師関係の双方の親密性を指します。また、「自己改善性」とは、「各学校が他の何らかの機関から命じられて,学校改善に形式的に取り組むのではなく,その学校内部から自発的に取り組んでいく」ことをさします。
こうした諸特徴を備えた「やわらかい」学校ではじめて教師発達が可能になるのだ、という主張でした。
これまで論じてきたように,「かたい学校」よりも「やわらかい学校」の方が教師に変化を生じさせることを容易にする。しかも「創造的適応」を特徴とする「やわらかい学校」が教師発達を可能にするのである。教師は他の教師と連携しつつ自らを変化させながら「やわらかい学校」をつくり出す。そして「やわらかい学校に置かれた教師たちは,その学校環境のなかで教師発達をさらに追究していく。
逆に,教師に「単純労働者化」が生じれば,「やわらかい学校」も「かたい学校」へと変質していきやすい。そして「かたい学校」に置かれた教師は,自らの発達を止め,管理主義的指導に終始したり,バーンアウトに陥ったりするような退行現象を示しやすくなる。そうした発達遅滞や退行は「単純労働者化」を教化させ,「かたい学校」の特徴をいっそう鮮明化させるであろう。
こうした議論は、当然かもしれませんが学校以外の組織でも援用できるのではないでしょうか。
- 作者: 今津孝次郎
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