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松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

東日本大震災のボランティアに夜行バスで学生を引率した思い出

「仕事」として参加したボランティア

過去の3回,東日本大震災のボランティアに学生の引率として,職場から派遣されている。
今までこの職場でさまざまな仕事を任せてもらったが,もし最も印象に残ったものを挙げろと言われたら,この仕事を挙げるだろう。
そう,ボランティアの引率であったが,私にとっては「仕事」であった。
仕事としてオフィシャルに,東北の復興にお使いいただくけることが,大変ありがたかった。
私の勤務している大学は神戸にあるので,さまざまな関係者のご尽力で,この仕事をすることができたのである。
勤務先より規模の大きい大学でも,「そういうボランティアを学生がしたいといっていたのに,やらせてあげられなかった」という話を聞いたことがある。
なぜ本学でできたのかというと,それはひとえに阪神大震災を経験した神戸に立地しているからであり,そのことと相まってさまざまな関係者のお力を集めやすかったということに起因するだろう。
以前,神戸の大学で働いていながら,阪神大震災の経験を大きなアイデンティティの一つとする感覚にうまく馴染めない,という悩みを少し記述した。
shinnji28.hatenablog.com
しかしながら,東日本大震災は,自分にとってはそうではない。
やはり,成人してからの大災害であるし,震災があって,津波があって,原発があってという被害の大きさから,起きた当初は「日本が終わってしまった」と思ったほとである。
つまり,阪神大震災のときは,自分が幼かったことでその被害の現実味というのが実感できなかったのだが,東日本大震災はそうでなかった。
学生支援の部署で新入生を受け入れる準備をしつつも,「もしかしたらこのようにふつうに働くことが難しくなるかもしれないな」と感じたと記憶する。
そして,件の震災が起きた際に,このレベルのことはおそらく一生のうちで二度とないであろうから,何らかの形で今年中に行かなければならないな,と感じた。
とはいえ,ものぐさな自分は「仕事」として与えられなかったら,なんだかんだと言い訳をしながら,結局行かなかったような気もしている。
ありがたかったというのは,そういう思いも含んでのことである。

具体的な仕事

私が約20名の学生の引率として東北に伺ったのは,以下の3回である。
2011年10月21-24日,2012年5月11-14日,12月21-24日
なお,場所はすべて宮城県の名取と石巻である。
では,その仕事において一体何をしていたのかというと,特に何かをしたということではない。
誤解を恐れずにいえば,何もしないことが仕事であり,学生の邪魔をしないことが仕事であった。
ただその裏では,学生の健康や安全を保持することや,活動のようすを写真で記録するという役割はあった。
というのも,本学の特徴であったが,現地にコーディネータの方に在住いただき,ニーズを吸い上げながら活動をするという方法をとっていたので,大方その方と,ボランティア支援室とで全体をデザインし,そこに学生が加わるという形式だったからである。
したがって,スポットで時々学生がやってくる,というのではない。かつ,引率の役目は安全管理のみということになる。
体力的には,かなりキツい。何しろ,夜行バスで1泊4日である。
布団で寝るのは1日だけであり,それも宮城県フットボールセンターという,アンダー世代のサッカー選手が利用するような,いわゆる合宿所であった。
残りはすべて車中泊で,さらに旅行に行くときのような夜行バスと違って,学生の安全を考えて2時間ごとにパーキングで止まる。
引率はそのつど学生がそろっているかどうか確認するので,基本的にはほぼ徹夜となる。
中には体調を崩す学生もいて,最悪途中で引き返す場合がある。そうしたリスクをカバーするために,引率は必ず2名あてられる(1名が学生と帰れるようにするため)。
私も一度だけそういうケースが発生して,もう1名が学生と同伴で関西に戻り,完全に引率が1人になったことがある。
たしか,一番最初に行ったときで,その際はおおいに不安になった。
実際のところ,震災のあった年は大きな余震が断続的に続いていたし,「もしかしたら再度同じレベルの地震がくるのでは」という話もあったし,さらに福島第一原発の問題も,余談を許さない状況にあったからである。
そうした中,20名の安全管理が自分1人に預けられるというのは,かなりの恐怖である。
万が一何かが起こったとき,学生の生命にかかわる判断が自分ひとりにゆだねられる。

3回参加して,学生に共通していたと思われること

都合3回参加して,学生に共通していたと思われることが2つある。
一つは,「門脇小学校」の視察で無言になること。
石巻市立門脇小学校は,津波とその後の火災がきわめて大きかった門脇地区に立つ。
実際に行っていたときの写真は使えないので,拾い画像を使うが,こんな感じだ。
f:id:shinnji28:20160323000202j:plain
この門脇地区には必ず視察することになっていて,この場所に降り立つとすべての学生が無言になる。
もちろん疲労もあるだろうが,それ以上に,こうした場所で言葉を発することが憚られたのだろうと想像する。
無言のまま,ある学生は一人で,ある学生は数人で,あたりをフラつく。そして一度は,小学校に近接していく。
もう一つは,ボランティアから帰ってきたその日の授業に出席するということ。
夜行バスで月曜日の朝に戻るので,期間中であれば授業がある。
彼らは,体力的に限界であるのに,朝から授業に出席する。制度上は公欠になるにもかかわらず(もちろん,引率の私もその日は休みで,帰って休養することになる)。
ふつうに考えて,公欠になるのだから休めばいいし,そもそも授業に出席するほどの体力は残ってはいまい。
不思議に思って,なぜ出席するの?休めば?と聞いたことがある。
すると彼らはなんと答えたか。「ボランティアで休んだと言われたくない」というのだ。
この気持ちに感服した。制度上公欠が設けられているかどうか,ということなど関係ないのだ。
ボランティアというものがどういうことなのか,自分たちなりに咀嚼して,考えていることに感服してことを覚えている。


以上のように,私は東日本大震災のボランティアに仕事として参加する機会に恵まれ,一緒に参加した学生がその前後でどう変容したのか(あるいはしなかったのか)を観察する機会に恵まれた。
このことは,自分のこれまでの仕事の中でも,大きく記憶に残っている部分である。