松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

「携帯電話」は死語

少し前から思っていたのだが、「携帯」「ケータイ」「携帯電話」といった言葉は、もはや死語なのではないだろうか。
どういうときに思うのかというと、電車の中にいるときである。
「携帯電話の電源はお切りください」というアナウンスがかかるたび、猛烈な違和感を覚える。
なぜなら私のもっているiPhoneスマートフォンであり、携帯電話ではないからである。
携帯電話とスマートフォンは明確に異なる。
何が異なるかといえば、その機能であり、役割である。
端的にいえば、前者は「ケータイ」であり、後者は「パソコン」なのだ。
すなわち、「ケータイ」としての携帯電話は失われつつあるのであり、「携帯電話」はいつか死語になるのであり、スマートフォン市場占有率によっては、もはや死語になってしまったと言えるかもしれないのである。

同じ状況は、色々な言葉で起こっている。
電話まわりの言葉でいえば、「ダイヤルを回す」がそうだろう。
電話をかけるときにダイヤルを回す、これは明らかに黒電話の仕様である。
しかしながら、もはや黒電話を使っている一般家庭は皆無であると思われる。
私の家庭ですら、黒電話を置いたことはない。
もしかしたら、ダイヤル式の電話というのは黒電話以外にもあるのかもしれないが、私はしらない。
自分の家庭には、プッシュ式のものしかなかったからである。
今となっては、固定電話が自宅にある家庭も珍しくなったであろう。うちにもない。
父方の祖父母の家には黒電話があったので、お邪魔するたび触って楽しんでいたことを覚えている。(なお、父方の祖父母宅の黒電話は、祖父母が両方ともなくなった際、形見として持ち帰り、我が家にある)

ダイヤル回して 手を止めた
I'm just a woman
Fall in love

という有名な歌詞があるが(小林明子「恋に落ちて」,1985)、いつか意味のわからないものになるだろう。

ここまで書いてきて思ったのは、「電話」という言葉そのものが、本来はもう死んでいる、ということである。
ウィキペディアによれば、電話とは、

電気通信役務の一種で、電話機で音声を電話信号(アナログ式では電流の変化、デジタル式では加えて位相の変化)に変換し、電話回線を通じて離れた場所にいる相手方にこれを伝え、お互いに会話ができるようにした機構および、その手段のことをいう

ようである。
ここで重要なのは、「電話回線を通じて」というところである。
電話というのは、電話回線を通じたコミュニケーションのことを指すのだ。
だが、そもそも今は遠く離れた相手と音声を介してコミュニケーションをとるときに、電話回線を使わないケースも多いのではないだろうか。
使っているのは、電話回線ではない。インターネットである。
スカイプ、グーグルハングアウト、LINE、といった、インターネットを媒介としたウェブサービスである。

今はまだ、電話という言葉は残っている。
それは、電話を使う機会も一応残っているからである。
たとえば私も職場では使うし、お店を予約するときにもギリギリ使っている。
「ダイヤルを回す」という言葉は死んだ。
「携帯電話」という言葉もいずれ死ぬだろう。
しかしながら、電話をかける、という言葉は残り続けるかもしれない。
遠く離れた相手と音声を介してコミュニケーションをとる、という行為が、電話をかける、という言葉で概念化されれば、その可能性はあると思う。

ことほどさように、言葉というのは時代の変遷によって失われる一方で、
内実が失われているにもかかわらず、概念化されて残り続ける言葉もあるのである。