松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

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何かございましたら,いつでもお問合せください。
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2016.12.4

広島大学高等教育研究開発センター研究員集会「高等教育の財政問題-競争的資金の在り方を考える」(予定)について

以下のとおり,11/23(木・祝)に開催予定です。私も行きます。
rihe.hiroshima-u.ac.jp

宮本常一・安渓遊地著『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』(みずのわ出版)を読了

標記の本を読了した。
この本は,フィールドワークを行うにあたり,現地の方にいかに迷惑をかけてきたか,また迷惑をかけるとしたときにどのような迷惑のかけかたがありうるのか,といったことについて述べられている。
具体的には,「「調査をしてやる」という意識」(p.25)で研究を行ったり,現地の物品を資料として借りておきながら返却しない「略奪調査」(p.60)等が挙げられている。
また最終章では,「「研究成果の還元」はどこまで可能か」として,たとえば報告書を郵送するといった行為には一定の限界があること,また本来であれば,調査する側とされる側という二項対立ではなく,ある意味で一体となり,「研究成果の還元」が死語となることが望ましい(p.111)と論じている。
本書が扱っているのはフィールドワークなので,自身が用いている方法とは異なるが,調査されることの迷惑という点は共通している。
自身も修士のときに二度調査を行ったが,実際のところ迷惑をかけずに調査することや,さらにそれを協力者に適切に還元することは困難である。
なので,このような「迷惑」を肝に銘じながら,調査はできるだけしない(公表されているデータを二次利用する)ということを考えている次第である。

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

読了した文献(49)

◇古川雄嗣(2017)「「大学改革」におけるPDCAサイクルの批判的考察? : 導入過程の整理・検討」『北海道教育大学紀要.教育科学編』67(2),pp.1-13.
塩野宏(2014)「日本の行政過程の特色--大学設置認可過程(平成24年)を素材として」『日本学士院紀要』第68巻,第2号,pp.113-137.
◇島一則(2017)「国立・私立大学別の教育投資収益率の計測」『大学経営政策研究』第7号,pp.1-15.
◇山岸直司(2017)「成果重視の質評価に関する米国連邦教育省の高等教育政策―1980年代から90年代における検討―」『大学経営政策研究』第7号,pp.17-31.
◇木村弘志(2017)「大学職員のキャリア志向が学習動機に与える影響の分析―「大学を理解するための知識」を対象として―」『大学経営政策研究』第7号,pp.33-49.
◇菅原慶子(2017)「日本の大学草創期におけるUniversity Extensionの展開に関する考察―早稲田大学東京大学の比較から―」『大学経営政策研究』第7号,pp.51-67.
◇李麗花・福留東土(2017)「産学連携教育の教育的意義に関する考察―IT分野における事例分析を手掛かりに―」『大学経営政策研究』第7号,pp.71-87.
◇両角亜希子・長島万里子(2017)「保育の質に対する園長の専門性―保育に関する全国調査から―」『大学経営政策研究』第7号,pp.89-104.
張燕(2017)「韓国における大学によるプログラム留学―学生移動の実態分析から―」『大学経営政策研究』第7号,pp.105-120.
◇塩田邦成(2017)「学部新設に見る大学改革のマネジメント事例の研究―同志社大学立命館大学を事例に―」『大学経営政策研究』第7号,pp.121-137.
◇市川昭午(1990)「比較教育再考――日本的特質解明のための比較研究のすすめ――」『日本比較教育学会紀要』第16号,pp.5-17.
◇Gutmann, A.(1999).The Purposes of Higher Education. In Conrad. C. F & Johnson J. (Eds.), College & University Curriculum: Placing Learning at the Epicenter of Courses, Programs and Institutions, Second Edition, pp.7-20.
◇吉田文(2016)「教養教育の学習成果の測定は可能か ―2000年代のアメリカの取り組み―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.3-15.
◇小笠原正明(2016)「大学教育改革のトレンドと日本が目指すべき次世代の学士課程像」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.17-29.
◇渡辺美智子(2016)「教養教育としての統計とデータサイエンス教育の課題―意思決定を高度化する統計思考力の育成」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.31-39.
◇森田康夫(2016)「現代的教養としての数学教育」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.41-46.
◇羽田貴史(2016)「大学における教養教育の過去・現在・未来」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.47-60.
◇今野文子(2016)「大学院生等を対象とした大学教員養成プログラム(プレFD)の動向と東北大学における取組み」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.61-74.
◇北仲千里(2016)「科学論文における「不適切なオーサーシップ」調査に関する比較研究」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.75-86.
◇堀田智子・吉本啓(2016)「「不同意」行為算出における日本語学習者の意思決定過程―回顧的口頭報告データの考察―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.87-99.
◇王俊(2016)「優れた中国人非専攻日本語学習者の学習ストラテジー―日本語双学位学習者を対象に―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.101-114.
◇松川春樹・池田忠義(2016)「大学生における対人恐怖心性―聴覚投映法による検討―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.115-125.
◇長友周悟・佐々木真理・吉武清實・池田忠義・佐藤静香・松川春樹(2016)「大学生における障害学生支援の活動分類に関する研究」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.127-133.
◇小川晋・滝口純子・清水麻那美・奈古一宏・岡村将史・木内喜孝・伊藤貞嘉(2016)「肥満学生と糖尿病例における血中尿酸濃度の上昇とその利生的背景の比較解析」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.3-15.
◇葛生政則(2016)「2000年代のバーデン・ヴェルテンベルク州農業の状況」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.143-155.
◇副島健作(2016)「若者の地方共通語使用に関する一考察―沖縄地域のアスペクトの使用意識調査から―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.157-168.
◇鈴木学(2016)「「教員養成GP」における実践的指導力育成を目的としたプログラムの類型分析―教員養成カリキュラム多様化の萌芽として―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.169-180.
◇島崎薫(2016)「日本文化のクラスにおけるアクティブラーニングの実践:すずめ踊りプロジェクトでのアクション・リサーチを通した一考察」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.181-191.
◇森山美紀子(2016)「日本の学生による相互学習型授業における異文化理解活動の試み」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号,pp.211-222.

貫井徳郎著『後悔と真実の色』(幻冬舎文庫)

標記の本を読了した。
最初の方は一見通常の警察小説なのだが,途中からの急展開,さらに最後のどんでん返しには驚いた。
山本周五郎賞受賞作品。

後悔と真実の色

後悔と真実の色

 

堂場瞬一著『警察回りの夏』(集英社文庫)を読了

異常に警察小説が読みたくなって読了した。
警察回り担当の新聞記者がある事件を追っていて,より大きな圧力に飲み込まれてしまう話です。

警察回りの夏 (集英社文庫)

警察回りの夏 (集英社文庫)

佐藤綾子著『小泉進次郎の話す力」(幻冬舎)を読了

最近,自分がプレゼンを舐めすぎているなと感じていた。
つまり,ほとんど直前まで準備せず,出番の30分前くらいからどう話すか考え始めるようなことを最近はしていたからだ。
これには理由があって,学術の場だと結構,スキルに関係なく中身を評価してもらえるという安心感による。それ自体よくないことなのだけれど,そのことは非学術的な場でより先鋭化される。
最近では非学術的な場をあまり与えられておらず,再度自分の能力を見つめ直す必要性を感じていたのである。
そのこともあって本書を購入,読了した。
自分が無意識にやっていたようなことも理論づけされていて,大変面白く読んだ。
たとえば,その土地に合わせた話を冒頭にし,話す側と聞く側の溝を埋めるのは「ブリッジング効果」。
聞き手を主役に変える話法,原稿を見ない,間を置く,といったものである。

また,本書を読んでまったく自分の中にはなかった視点も得た。
それは,演説の最後に格調高い理念を示す,というものである。ただ筆者も,これは日本人には難しいと補足している。
本書ではオバマの演説を例にあげているが,最後に聖書を引用するというのは日本人にそのままあてはめることができないからだ。
では日本人はどうしているのかというと,歴史的事実やエピソードで聖書の代用をしているとのこと。
しかしそれでも聖書にはかなわないので,難しいという話である。
ここまで書いてきて思ったが,これも自分はやっているかもしれない。
意図はしていなかったが,最後に格調高いことは言いがちな気がする。
格調といっても,聖書の引用とか,歴史的エピソードの引用とかではなくて,自分の中での理念のようなもの。
たとえば,課程認定等の話題提供では,私立大学としてのプライドをもって,政策に受動的に応答するのではなく,積極的な取り組みを開発し,政策に逆輸入するという気概をもちたい,とか。
あるいは,京都の大学職員フォーラムで話題提供を行ったときは,冒頭で京都の私立高校出身であることを伏線として,最後にその母校にあったフランスの詩人の石碑を引用する,とか。

とはいえ,無意識にやるというのはやはり微妙で,ある程度言葉で理論づけられて,わかった上でやった方がいい気がした。
しかしそうすると,自分のプレゼンが言葉に規定されてしまって,余白のようなものがなくなってしまうな,という疑問ももった。
本書の購読では,このようなことを考える機会となった。

小泉進次郎の話す力

小泉進次郎の話す力