松宮慎治の憂鬱

'04京都橘高校卒→'08大阪教育大学卒、私立大学に職員として奉職→'17広島大学大学院教育学研究科博士課程前期高等教育開発専攻修了,そのまま後期課程在学中。とあるきっかけ(http://shinnji28.hatenablog.com/entry/2015/01/10/050000)があって、実名でブログを始めることにしました。特に憂鬱なことはないのですが、大学職員仲間がタイトルを考えてくれたので、そのまま使います。

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shinnji28.hatenablog.com

2016.12.4

仕事の「できる(できない)」「やる(やらない)」と「方法」「内容」について

kakichirashi.hatenadiary.jp
こちらの記事を拝読しました。
彼の言いたかったことは,ぼくなりに解釈すると,「世の中にそんな特別な仕事なんかそもそもねえんだよ」「だからそんな思い上がられてもウザいんだよ」といったあたりのことを仰りたかったのではないかと思います。
違ってたらごめんなさい。
それで,ぼくが関連して思ったことは少し違う話で,仕事には「できる(できない)」「やる(やらない)」と「方法」「内容」の4つの軸がありそうだなということです。
まず,「誰にでもできる」としたときの,「できる(できない)」「やる(やらない)」の軸から。
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「誰にでもできる」であれば,②や③は存在しないですよね。「できないけどやる」「できないからやらない」という2つの選択肢自体存在しないことになります。
では,①や④はどうでしょうか。「できるからやる」「できるけどやらない」。
ぼくは大学の仕事では,後者が多すぎる気がします。できることは,やりたい。なぜならできるから。
次に,「方法」と「内容」です。
「内容」は,たいていの場合最初は与えられます。「これをやってね」と。
しかしやっぱり,「方法」では差がつく気がします。
たとえば,ぼくが以前ご一緒していた派遣契約の方は,すごい「方法」をお持ちでした。
具体的には,ぼくがお願いした作業依頼の工程すべてについて,スクリーンショットをとって保存されていたのです。
このため,間違っても遡ることができるので,ぼくは100%安心,信頼してお仕事をお願いしていました。あれはすごかった。
おそらく,この「方法」は,様々な現場でお仕事をされる立場の方が「売れる」ための,一つの武器になっていたのだろうと思います。
では,我々の仕事で評価される「方法」はなんでしょうか。ぼくはこれは,所属している部門,あるいは役割によって変わってくると考えています。
ですので,ある意味その部門,役割に応じて自分の得意なことを出せるかどうかが勝負であるような気がします。
そして,「方法」がよければ評価も自然と高まり,「内容」も変わってくるように思います。
その結果,与えられてきた「内容」をみずから模索する段階に突入することになります(これがその人にとっていいか悪いかは別ですけどね)。

教員免許状更新講習では,受入れ予定の定員だけではなく,実際の受入れ人数も公表してほしい

kakichirashi.hatenadiary.jp
こちらの記事を拝読しました。
かなり手厳しいことを書かれています。

もし、現職教員が定員超過により講習を受講できず失職した場合、訴訟を起こされる可能性はあるのでしょうか。その場合、被告は国なのか、文部科学省なのか、都道府県教育委員会なのか、講習開設機関なのか、どうなるのでしょうか。一人一人の職業人生がかかった制度であるにも関わらず、その安定性や将来性は非常に不安定だと感じています。このような状況にあって講習開設機関にできることは、多様な講習を開講し、1人でも多くの受講希望者を受け入れ、適切に講習を運営することでしょうね。

こちらでお示しのように,教員免許状更新講習の制度で最も重要なのは,「数」であるとぼくも思います。
もちろん内容も大事ですが,1に数,2に数,3,4も数で,5に内容,というレベルで数が重要です。
来年の受講予定者数がかなり多いことを見越して,自身の勤務先では今年度の人数を今までで最高にしました。その前の年も,過去最高でした。
変遷としては,のべ人数は500名強→1,200名弱,1,200名強と,まず自分が担当するようになった最初の年に倍以上にし,あとは横ばいという感じでしょうか。
現在はウェブ申し込みの予算要求を検討していますが,これも少しでも数を増やすためです。
なぜ「数」が最重要かというと,そもそも受講できなければ身分を更新できないからです。更新できない=失職,です。という至極シンプルな論理です。
その上で,自分の大学の「貢献度」みたいなものを算出したいのですが,現在の情報の公開状況では,募集定員しかわかりません。
実際の受入れ状況を公表すれば,その大学がその地域においてどの程度貢献しているのかわかります。ですので,公表をずっと望んでいます。

なしたいコトと原体験(3)育った町と社会階層

shinnji28.hatenablog.com
ぼくが上記のようなことを思うようになったきっかけがあります。
それは中3の冬のことです。
ぼくは担任の先生から,他のクラスの友人に勉強を教える係をしなさい,という指示を受けました。
なぜなら自分は私立高校に進学することが決まっていて,公立を受験する友人と違ってやることがなかったからです。
また,いろいろな意味でモチベーションが下がっているように見えたのだと思います。
そして,ぼくは放課後を中心に友人に勉強を教えるようになり,勉強のできないヤンキーのような友人でも,簡単にできるようになることを知ったのです。
八幡という町で父は公務員,母は専業主婦という相対的に恵まれた家庭で,さらに両親大卒という「大学行って当たり前」みたいな環境によって,自分は生かされているということを知ったのです。
勉強ができないというのは,決して自己責任なんかではないということを知ったのです。
ぼくが勉強を教えた友人の中には,ぼくよりもはるかに頭のいい人が何人もいました。
でも彼らがみんな大学行ったかというと,絶対にそうはなっていません。
であるならば,初めから恵まれた側である自分は,その結果を自己の利益のためだけに使ってはダメだろうという気持ちがあるということです。

なしたいコトと原体験(2)橘紳士

shinnji28.hatenablog.com
このホームカミングデーに参加した当時の自分は,職場でイヤなことがありすぎて毎日「辞めたい」と思っていました。
しかし,過去の自分に笑われている気がしたこの日から,スイッチを入れることに決めました。
具体的には,仕事で「圧倒する」ことを求め始めました。
ところで,大学職員という仕事を10年近くやってきて思うのは,少なくともこの業界において,なんであれ特定の分野でほぼトップになることは,そう難しくないということです。
具体的には,裾野には多くの人がひしめき合っているが,少し努力して山を登れば全然ライバルがいなくなるイメージです。
その過程で気づいたのは,以下の4つです。

(1)そもそも,皆そういう意識で働いているわけではない。むしろ,総合職としての異動があるから,特定の分野に精通することへのネガティブイメージすらある(だから簡単である)
(2)大抵の人は,チャンスを与えられてもスルーする(フットワークの軽さが重要である)
(3)分野のトップかどうかは,自分ではなく市場が決める(自己評価はさして重要ではない。自分のモチベーションのコントロールに使うだけ)
(4)自分の強みが何か(1流の人の力を借りることや,2~3流の能力を平均的に掛け合わせること)

その上で,さらに「明らかに難しい」と思える場に身を置いて,さらに成長する必要性を感じていたので,大学院に行ったという流れです。
そして,「普通そこまでやらんやろ」という意味で,博士後期に進学したということになります(自分の中では,修士の延長的な感覚もあるけれど)。

家庭の学校外教育支出を支援する「スタディクーポン・イニシアティブ」に添えられた望月優大氏の文章が素晴らしい

望月優大氏の文章が素晴らしかったので,シェアします。
hirokimochizuki.hatenablog.com

自分の家はひとり親家庭でした。
相対的に言えば、貧しかったと思います。
でも、母親が踏ん張って教育の機会を与えてくれました。自分が望む全ての教育を受けさせてくれた。今思えばどうやってやりくりしたのか想像もつかないし、だからこそ本当に感謝の思いしかありません。
彼女にもらった機会のおかげで、今の自分がある。それは100%そうだと言える。
いま自分が、困っている人、弱っている誰かを支える人になりたい、そう思えていること、その可能性の根っこの部分に、母親のこの踏ん張りがあったことを本当に確信しています。
ただ、30も過ぎたこの歳になって思うこともあります。
この困難は、母親がたった一人で、自分の食費を削ってまで、背負わなければいけないものだったのか。
収入も少ないひとり親の母親にそこまでの負担を強いる、そんな社会で良かったのか。
そして、そうである社会を、そのまま、次の世代へと残していく。32歳にならんとする自分は、本当にそれで良いのか。

自分には,「スタディクーポン・イニシアティブ」という取組みの将来に向けた可能性については,正直判断がつきませんでした。
学校外教育支出を,公教育との兼ね合いの中でどのように考えればよいのか,というのも悩ましいところです。
しかしながら,上記の望月氏の文章からは,量は短いながらも,力強さと情熱を感じました。
この文章は,日本においては教育が限りなく私事性の高いものであり,教育をどの程度受けられるかということが,自己責任に帰結してしまっているという問題を端的に表現しています。
したがって,大学関係者の一人としてこの取組みを応援するとともに,自分は自分で別の場所で,近い問題意識をもちながら貢献したいという気持ちにさせられました。

なしたいコトと原体験(1)なじめなかった大学生活

先日の以下の記事ですが,
shinnji28.hatenablog.com
なんとなく,大学院のことを書いちゃったので研究活動に熱心という風に見えたかもしれませんが,それは誤解です。
たしかに今現在の自分にとっての優先順位において高い方に位置づくのは事実ですが,あくまで一部です。
また,「ではなしたいコトってなんですか?」と聞かれたときに,ダイレクトに答える術をもっていません。
むしろ,ダイレクトに答えるとその言葉に縁どられてしまって,将来を規定してしまうという怖さがあります。
そこで,自分の中でなしたいコトが何か,ということにダイレクトに答えることは難しくとも,至るプロセスの代理指標のようなものを探してきました。
それが,「原体験」であるような気が,自分の中ではしています。
その多くが,学生時代にあります。遡ると,第1に「大学生活に馴染めなかった」ということがあります。
この点については,かつて以下のように記事にしました。
shinnji28.hatenablog.com
該当箇所を引用します(赤字は筆者)。

 10年前の私は、大学1年生でした。2004年度ということです。だから、今年度は私にとって実は節目の年です。高校は非常に楽しかったのですが、大学生活は辛かった、というのが私の個人的な体験です。資料を作る中で、大学で働くときに、結局自分は自分の大学時代の経験に縛られていて、そこから逃れられないのだ、ということに気づきました。大学生活がつらかった自分が、今なぜか大学で働いている。そういう経験が今の仕事に与えている影響は大きいと気づきました。
(中略)
 私は大学入学当初、「便所飯」をしていました。専門的には、ランチメイト症候群と呼ぶらしいのですが、とにかく、トイレでご飯を食べるということをしていた時期があります。便所飯をしている中には、色々な人がいると思います。友達がいなくて、一人でご飯を食べるのがいやだから、というケースもありますが、私はそうではありませんでした。むしろ逆で、一人になりたくて便所飯をしていました。専攻の友達がいたんですけど、昼休みになると、あえてその集団から離脱して、一人で一番きれいな図書館のトイレに行く、ということをしていました。私が大学生だった2004年頃は、便所飯という言葉はおそらく知られていなかったと思います。大々的に知られたのは、私が働き始めた2008年だったはずです。おそらく、毎日新聞だったかと思いますが、ネットのニュースで「最近の学生はこんなことをしている」というような文脈で便所飯が取り上げられて、「これ、かつての俺やん」と思いました。ああ、俺は便所飯業界のフロンティアだったのだな、と思いました。
 大学の何が辛かったのかというと、一言でいうと、高校までとの差が大きすぎた、ということです。例えば、親なんかも、これからはなんでも自由にしていいんだよ、と言われ始めます。でも、そんなことを急に言われても困るわけです。あるいは、講義の内容に関心が持てない、ということがありました。名称は立派なのに、内容が非常に限定されているものが多かった。人間関係も表面的に感じられました。私は、高校のように、クラスがあって、集合する場所が決められていたとしても、友達と仲良くなるのに半年はかかるタイプでした。そんな私にとって、緩やかなつながりの中で当たり障りのない会話をすることは苦痛でした。それから、「大学は人生の夏休み」という空気にも違和感がありました。この言葉は、実際に先輩が言っていたことです。これは、大学が終わったら人生はもう秋に突入してしまうということを言っているわけで、だから遊びまくれということだったと思うのですが、この空気に違和感をもっていました。さらに、私のときは、単位をいかに効率的にとっていくか、それが一番大事だ、という風潮がまだありました。
 そういう私にとって必要だったことは、「自ら動く」ということだったと思います。講義の内容に関心が持てないならば、自分で色々模索して、興味のあることを見つける。あるいは、友達に積極的に関わっていくというようなことです。しかし、こうしたことは頭では理解していました。ただ、実際に行動することとの間には壁があった。なぜかというと、そういうことをそれまであまりやってきていなかったからです。
 さて、高校は楽しかったと言いつつ、このように大学は楽しくないと言ってしまうと、大阪教育大学を批判しているような感じになってしまいます。私にその意図はありません。自分に力がなかっただけだ、と思っています。私はこうした辛い時期から、自力で浮上しました。でも、時々、何か大学が浮上するきっかけを与えてくれていたら、何かが違ったかもしれない、と思うこともあります。だから、今の仕事では、あらゆる学生にきっかけを与える役割を果たしたいと考えています。そして、大学になじめない学生、うまく大学生活を送れない学生の方が気になります。そうした学生は、大化けするし伸びるのだという確信もあります。

数は少ないけれど,大学の時の友人もいます。
しかし,その輪を本来はもっと広げられたのに,自分の能力不足でできなかったという思いがあります。
このようなことから,私は自分の仕事の上で,なじめない学生の方が気になるわけです。
いわゆる2:6:2の分類でいうと,下の2です。
このようなことを言っていると,「下の2は難しいよ」ということを言われます。「大学に来ないような層だから」と。
そう言われれば言われるほど,逆に切り捨てられないという気持ちになります。