松宮慎治の憂鬱

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小入羽秀敬(2019)『私立学校政策の展開と地方財政:私学助成をめぐる政府間関係』(吉田書店)を読了

本書は,国による私学助成政策の変化が,地方教育財政にいかなる影響を及ぼしたかについて,政府間関係論を援用しながら分析したものである。
一番の特徴は,高校以下に対して配分される私学助成に焦点をあてたことであろう。
おそらく大学関係者にはあまり知られていないことだと思われるが,私立高校以下に対する私学助成は都道府県を経由して配分されているため,地方に一定の裁量がある。
「現行の県私学助成は奨励的国庫補助金(私学助成の約30%)と地方交付税(私学助成の70%)の混合型の財源措置」(p.6)なのである。大学に対する私学助成は私学事業団を通じて行われるが,それとは違う。
それゆえ,先行研究における私学助成をめぐる「助成」や「規制」の分析対象は,大学であった。しかし,私立大学の経営は学校法人が行っているから,附属学校を捨象できない。その上,日本の私立高等学校は日本の全高等学校の約3割を占めている(p.2)のである。
筆者の問題意識は,使途が限定されている国庫補助金と限定されていない地方交付税があり,後者の方がより割合が大きいにもかかわらず,現実には地方交付税にも「国の決めたスタンダードに収斂していく機能」(p.190,「標準化機能」)があったことに帰着してゆく。
つまり,制度的には存在するはずの一定の裁量が,実はほとんどない,なぜそういう風になっているのか,を描き出そうとするのである。

本書を拝読した目的は2つあった。1つは,最新の私学助成研究をフォローすることである。
最近,自身の専門分野を書かなければならないとき,高等教育論の下位分野の記載を求められたら,「私学助成」と書くようにしている。
自身の問題関心は,結局のところ私学助成に枠づけられるなと考えるようになったからである。
もう1つは,博士論文が本となった本書を拝読することで,博士論文をどう書くかを学習することである。
原著論文を博論にまとめあげようとするときの大変さを推察しつつ,果たして自分にこのような丹念なことができるだろうか(いや,できまい)という不安にかられてしまった。
なお,著者の小入羽さんが広島にいらしたとき,しがない自分のような研究にも多くのコメントをいただき,帝京に行かれてからも学会の日にかなりの時間を割いてアドバイスをくださったことを今でも覚えている。
なんとかそのご恩を返していきたいと改めて思った次第である。
章立ては次のとおり。

序章 先行研究の動向と分析枠組み
 第1節 問題関心と課題設定
 第2節 先行研究の状況
 第3節 本書の分析枠組みと分析課題
 第4節 本書の構成
第1章 国レベルの私学助成制度
 第1節 文部科学省の私学担当部局
 第2節 国庫補助金制度の変遷
 第3節 私立学校への貸付金
 第4節 地方交付税の精度と措置額
 第5節 小括
第2章 県レベルの私学助成制度
 第1節 県における私学担当部局
 第2節 県による私学助成の予算積算制度と配分制度
 第3節 小括
第3章 生徒急増期が私学助成制度に与えたインパク
 第1節 生徒急増期における国の対応
 第2節 都道府県の対応
 第3節 事例分析
 第4節 小括
第4章 人件費補助の精度かが県私学助成に与えた影響
 第1節 国による私学助成政策の転換
 第2節 国の制度変更に対する都道府県の対応
 第3節 事例分析
 第4節 小括
第5章 私立学校振興助成法の成立による国庫補助金の導入
 第1節 私立学校振興助成法の成立と国による私学助成制度の変更
 第2節 国の制度変更に対する都道府県の対応
 第3節 事例分析
 第4節 小括
第6章 財政難・生徒減少期の私学助成
 第1節 2000年前後の国の動向
 第2節 国の制度変更に対する都道府県の対応
 第3節 事例分析
 第4節 小括
終章 知見と結論
 第1節 知見の総括
 第2節 結論と含意
 第3節 今後の課題

私立学校政策の展開と地方財政――私学助成をめぐる政府間関係

私立学校政策の展開と地方財政――私学助成をめぐる政府間関係

私の「私の個人主義」体験

以前,以下のような記事を書いたことがあります。
shinnji28.hatenablog.com
ここで述べたことは要するに,社会的に恵まれた立場で過ごしてきた自分は,そのメリットを自らだけが享受するのではなく,世の中に返していく必要があるという義務感を覚えている,ということです。
上記記事のコメントにもついているように,これを「ノブレス・オブリージュである」と表現するのは,自分でもなんだか気恥ずかしいというか,傲慢な気がしていて,違うなと感じていました。
ではこれはんなんだろうとしばらく考えていたときに,夏目漱石による「私の個人主義」を思い出しました。
「私の個人主義」は,漱石学習院で行った講演の文字起こしで,高校1年生のときに使われた教科書に載っていました。
当時,1学期間くらいかけて授業で読んで,最後に「私の個人主義」という作文をみんなで書いた記憶があります。
改めて再読してみると,ひょっとしたら源流を辿るとここかな,という気がしてまいりました。
漱石学習院の学生に対して,

あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使える

そういう立場にある,と述べます。
そして,

権力とは先刻お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧し付ける道具なのです。

と言います。であるから,権力というのは偉いようでいて,その実非常に危険だと指摘しているわけです。
では,学習院の学生のような,元来恵まれてきた人は,どのように生きればよいのか。そのことを端的に表現しています。
少し長いですが,力ある文章なので引用します。(赤字はわたし)

 今までの論旨をかい摘んで見ると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の筋力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。つまりこの三ケ条に帰着するのであります。
 これを外の言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍言い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものが無暗に個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。そうしてこの三つのものは、貴方がたが将来においても最も接近し易いものであるから、貴方がたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくては不可いだろうと思います。

これが漱石なりの「個人主義」だ,ということになるでしょう。
こうした自分の「個人主義」体験が,冒頭のような記事に繋がっていたのかもしれない,と再読して思った次第です。

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

野村茂樹・池原毅和編(2016)『Q&A 障害者差別解消法』(生活書院)を読了

標記の本を読了した。
本書は,障害者をめぐる日常生活における制限が,心身の機能ではなく,社会的障がいから生じるという,医学モデルから社会モデルへの転換を前提とした上で,法曹が種々のケースをQ&A方式で解釈を述べたものである。
差別解消法による合理的配慮は大学にとって努力義務であるが,大学という組織の特性上,多様性に配慮した積極的な支援が求められると考えているが,そのための勉強になった良書であった。

Q&A障害者差別解消法――わたしたちが活かす解消法 みんなでつくる平等社会

Q&A障害者差別解消法――わたしたちが活かす解消法 みんなでつくる平等社会

赤川学(2018)『少子化問題の社会学』(弘文堂)を読了

本書は,少子化問題の,「言ってはいけない」タブーについて,データにもとづき社会学的に分析し,問題を提起するものである。
本書の要諦は,やはり「少子化問題の「言ってはいけない」を論じた第1章であり,一言でいえば,「日本の少子化要因の約9割は、結婚した夫婦が子どもを産まなくなっているのではなく、なかなか結婚しない(できない?)人の割合が増加したことにある」(p.13)ということだ。
そうであるにもかかわらず,少子化を解決する手法として示されるのは,残りの1割に過ぎない,子育て支援を初めとした「一夫婦あたりの子ども数の減少」(p.78)をなんとかしようとするものであると喝破する。
その上で,なぜそういう構造になっているのかについて,社会保障の制度設計におけるゼロ・サムゲームの利害対立を,うまく隠ぺいする装置として機能していると結論づけるのである(p.91)。
本書を読もうとしたきっかけは,大学問題を論じるときの枕詞,18歳人口の減少という現象への言及の仕方に疑問をもったことにある。
18歳人口の減少という要因はそれ単体で独立して存在しているわけではないのに,あたかもそれでほとんどが決まってしまうような語られ方はおかしいのではないかと思い,そのヒントを得るために拝読した。

少子化問題の社会学

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2019年2月に読了した小説,エッセイ,漫画

パレートの誤算 (祥伝社文庫)

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新装版 星降り山荘の殺人 (講談社文庫)

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隠蔽捜査 (新潮文庫)

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藤子・F・不二雄SF短編集<PERFECT版>8 鉄人をひろったよ (SF短編PERFECT版 8)

藤子・F・不二雄SF短編集8 鉄人をひろったよ (SF短編PERFECT版 8)

佐藤俊樹(2019)『社会科学と因果分析:ウェーバーの方法論から知の現在へ』(岩波書店)を読了

本書は,ウェーバーが構築した方法論の生成過程を解説し,そのことを通して社会科学における因果分析を包括的に論じようとするものである。
ここでいう方法論とは,適合的因果構成をさす。
適合的因果構成とは,「因果を(a)版事実的に(=半実仮想の形で)定義した上で、(b)条件つき確率の差で測るもの」(p.34)である。
本書の重要な特徴の一つは,既述の生成過程,すなわち研究の系譜をたどり,ウェーバーの方法論が誰の,どんな影響を受け,それらがどのように後世に解釈されたか(時に誤りも含まれる)を丹念に追っていることだと思われる。
たとえば,第1章でまず指摘されるのは,戦後のウェーバー研究が日本語圏と英語圏で解釈が異なっていたということである。
日本語圏に社会科学では,マルクス主義史的唯物論との融合が試みられた(「マルクス-ウェーバー結合」(p.39))から,観察する単位を1つ(=世界を1つの単位)とされたため,因果の有無が経験的に同定できなかった。
一方,英語圏ではそうした解釈は発展しなかったので,ウェーバーの方法論の本来のありようが伝播したと考えられているという,といったことである。
加えて,そうした方法論の生成をたどる過程で,筆者は常に現在との往復を繰り返している。
つまり,現在の社会科学にとって,そのときどきの議論がどのような意味をもつのか,さらには広く社会科学の因果分析の本質はどのようなものかを追求する。
言葉はわかりやすく,語りかけるようですらあるが,内容は(自分にとっては)難解だった。少なくとも1度読むだけではすっと入ってこない。
背景知識が不足していることもその理由だろう。繰り返し読みたい,重厚な書物である。

2019年1月に読了した小説,エッセイ,漫画

国を蹴った男 (講談社文庫)

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残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか? (光文社新書)

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働く大人のための「学び」の教科書

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ブラックバイト 増補版:体育会経済が日本を滅ぼす (POSSE叢書 Vol.2)

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がんばると迷惑な人 (新潮新書)

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日本代表とMr.Children

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5年たったら正社員!? 無期転換のためのワークルール

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日本の思想 (岩波新書)

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