松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「人間は非合理的なので失敗するのではなく、むしろ合理的に行動して失敗する」:今こそ読んでおきたい『組織の不条理』(菊澤研宗著)

今の状況で,「なぜうちのトップはこうなんだろう」「なぜあの人はああなんだろう」と思うことがあるだろう。
しかしながら,人間は完全合理的な存在ではない。
当然だが人間は神ではなく,考えは常に,必ず不完全である。これを限定合理性という。
このような限定合理性の立場から組織を描いたのが,菊澤(2017,文庫版)である。今こそよみたい良書である。

類書として有名な『失敗の本質』がある。この『失敗の本質』には,次のような限界があると菊澤は指摘する(pp.4-5.)。

 しかし、『失敗の本質』の基本的なスタンスは、合理的な米軍組織に対して非合理的な日本軍組織という構図があり、それゆえ日本軍の組織より合理的であるべきであったという流れになっている。つまり、完全合理性の立場に立って、日本軍の戦い方の非合理性を問題として分析するという形になっている。
 ところが、1990年代、企業理論や組織論の研究分野では、完全合理性の立場から現実を分析するのではなく、人間はもともと不完全であり、限定合理的な立場から分析する研究がはやりはじめていたのである。当時、この限定合理性の立場で研究していた私は、人間は非合理的なので失敗するのではなく、むしろ合理的に行動して失敗するというきわめて不条理な現象が起こることに気づいた。そして、このような立場から改めて大東亜戦争での日本軍の戦いを分析してみたいという思いが書いたのが、本書なのである。

つまり,自分から見ておかしい行動をとっている人も,その人なりに合理的だと思って行動している,ということになる。
ここで重要なのは,自らの限定合理性を謙虚に認めることだろう。
「なぜうちのトップはこうなんだろう」「なぜあの人はああなんだろう」と思っているうちは,自分の限定合理性を捨象し,正当性を過大評価している可能性がある。
とりわけ危機的な状況においては,自分が完全であると思っていると失敗する。
情報を共有し,異なる立場から議論を交わすことで,限定合理性は多少なりとも組織的に解決できるかもしれない。
そのような形で,一人ひとりのもっている能力を積極的に借りる必要があるだろう。
それがマネジメントの重要な役割のひとつである。