松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

【メモと紹介】本庄武(2019)「脳科学の発展が少年法適用年齢引下げ問題に与える示唆(少年法適用年齢引下げ問題について:脳科学の視点から【第4回】)」『判例時報』2402号,pp.142-146.

成人の年齢が2022年から18歳になるが,少年法の対象年齢を18歳未満に引き下げるかどうかは,未だ結論を得ていない。
この論稿は,かかる状況をめぐって科学的根拠と日本の政策の合理性から検討したものである。
まず,アメリカでは脳科学の知見が少年に対する厳罰化を抑制する立法を後押しするなど,少年司法政策に脳科学の知見が少なからず援用されていることを提示した上で日本の現状を振り返り,少年司法政策が一部を除いて脳科学ではなく規範に立脚して検討されていることを指摘する。
その上で,脳科学の知見は18歳を過ぎても発達するということにあるから,対象年齢を引き下げようすることは科学的には不合理であり,かつ政策的合理性および理論上の必要性の観点からも,引き下げる論拠は見当たらないと批判している。
論者が検討した対象年齢引下げの根拠のうち,特に興味深いのが「世論」である。その一部を引用する。

成年の意味の変容と同様に、少年の行動制御能力が十分発達していないという知見もまた、世論には浸透していない。にもかかわらず、少年法適用年齢を引き下げて、原則として刑事責任を問うことにすると、18歳は「自律した存在」であるとの世論の誤解を強化することになってしまう。18歳に達した以降も若者は未成熟であり、社会的に支援していかなければならない、という認識を普及させる観点からも、少年法適用年齢は引き下げるべきではない。

振り返れば,少年法の適用年齢を引き下げるべきか否かは,かなり以前から議論されてきたように思う。具体的なその契機は,少年犯罪が多発した1990年代後半にあったように感じる。
自身が中学生の頃に社会の授業内で,引き下げるべきかどうかをディスカッションした記憶もある。当時の自分は,素朴に対象年齢を引き下げるべきだと考えていた気がする。
しかしながら,対象年齢を引き下げたときに,対象に含まれる年齢層の犯罪が本当に減るのかどうか,事前に推論することが果たしてできるだろうか。
翻っていま考えることは,①いつをもって成人(ないし少年)とみなすかは,かなり難しい問題である②一度下げると軽々に上げられなくなってしまうから,下げることには慎重であった方がよい,の2点である。
大学にたまたま職を得て,色々な学生と接していると,18歳の時点でかなり成熟している方もいれば,そうでない方もいて,分散が大きい。
1つの大学の中で見てもそうなのだから,大学生全体,18歳全体,という風に射程を広げていくと,自然と簡単な線引きが難しいことに気づく。
このとき,社会のありようからすれば,成熟していない方にあわせることが望ましいように思う。