昨日京都地区の免許事務勉強会に参加させていただいたわけだが、何人かの方に「息抜きに見ている」と言っていただけて、非常にありがたい思いである。
さしたる特技もなく、凡庸未満の自分の記事など読んでいただいたところで得るものは少ないと思うが、せめて息抜き程度にでもなっているとしたら、それは望外の喜びである。
「一体誰に見ていただいているかわからない」という不安もなくはないが、一方で自分の営業ツールとしてはかなり有効であるとも最近は感じる。
というのも、
人の内面を知るには時間の蓄積が必要である一方、
文章はその人の内面を誤魔化せない、
からである。
いまのようなことをしていると、ぼくは全く知らないが相手はぼくのことをある程度知ってくださっている、という状態がまま生まれる。
ぼくのブログを読んでくださっている方には、およそ隠し切れない内面というものが伝わってしまうだろう。
自分が寝ている間も休んでいる間もブログが勝手に営業をしてくれて、「この人はこういう人ですよ」と宣伝してくれているようなもんである。
ぼくの内面が良く伝わっているか悪く伝わっているかということはどうでもいいことである。
ともかく伝わっているということが大事である。
何しろ人間の世界は噂好きで、その人の知らないところで勝手にその人のイメージが出来上がったりもする。
ぼくはこの業界でしか働いたことがないので比較できないが、色々な方の意見を聞くに、特に大学という場がかなり噂好きであることは間違いあるまい。
そうした現場にあって、良し悪し関係なく、個人の感性や特徴を正確に自ら伝えるのは困難である。
一緒の場で働いている人にはわかるかもしれないが、部門をまたがったりすると途端に難しくなるであろう。
もちろんできるかもしれないが、そういうところを頑張るということは、人間関係の調整に必要以上のコストを支払うということである。
長々と書いてしまったが、要するにブログというのは本来の自分を代理して伝えるのにかなり有効なツールだと実感している、と書きたかった。
とはいえ、実名を出すというカードは一旦切ると絶対に戻せないので、早い段階でそんなことをする必要があったのかどうかについては、今でも考え続けている。