松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

謙遜が招く逆機能ー中原淳先生のブログからー

以前とある会で300人くらいを前に課程認定の話をしたときに、「自分はこの仕事のプロではない」「すぐれた人はもっとたくさんいて、自分はたまたまここにいるだけ」「諸先輩の後押しによって、チャンスをいただいただけ」という話を冒頭にしたことがある。
ところがこれに対して、事後のアンケートで、

「プロではないのに、なぜその場に立っているのですか?」

と書かれてしまった。
率直なぼくの感想を言えば「なんやこいつ」というもので、「謙遜や、それがわからんか」という苛立ちを覚えた、というものである。
あまりに腹が立ってそれ以来、自分はこの仕事のプロであり、圧倒的な自信がある、という口ぶりで語るようになった。

自分のプレゼンの出来不出来は別問題としても、とはいえ、実をいうとこうした意見には一定の理があることもまた事実である。
たとえば中原先生も次のように指摘される。
謙遜からはじまり、予防線を張っちゃう「伝わらないプレゼン」 | 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する

 本人は謙遜して言っているつもりだろうけど、聴衆の方にとってすれば、興ざめに感じる。
「壇の上にたつあなたのプレゼンをわたしは聞きにきた」のに、「自分はその資格はない」と言われると、「じゃあ、なぜ、あなたは登壇を承諾したのですか?」と言いたくなります。
 忙しい合間をぬってきた自分が、どこか否定されているようで、悲しく感じてしまう。
  
 壇の上にたったのなら、無駄な謙遜はせずに、ストレートに自信をもって主張するものを主張するべきです。

要するに、ぼくは謙虚である方が美徳であるという価値観のもと、抑制的な自己紹介をしたわけであるが、聴衆から見れば単に予防線を張っていただけ、と映った可能性が高いのである。
しかしながら、一方で予防線を張らず堂々と自信を持って振る舞う、しかも大人数の前で、というのがいかに難しいかという問題もやはりある。
中原先生がおっしゃることはド正論であるが、では実際にそのとおりやれますかというとこれは全く別問題で、慣れやそれなりのメンタルコントロールが必要となる。
自分は随分場数をこなした方だと思うが、未だに納得いくプレゼンをすることが難しい。
思うに、人数が増えれば増えるほど、より自信ある振る舞いをするのがいいように感じる。
人数が少なければ、謙遜もそんなに悪くないかもしれない。