松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

卓球の団体戦を見ていると、剣道の団体戦を思い出して胸が苦しくなるという問題

オリンピックが終わってはや3週間ほどだろうか。
さまざまな競技が行われ、選手たちの頑張りにより、大きく盛り上がった。
ただ、やっぱり気になるのは自分がやっていた競技で、剣道は種目にないから、水泳ばかりを見ていた。

しかし、もう1つ気になるというか、どうしても見てしまう種目があった。
それが卓球の団体戦である。
卓球の団体戦を見ていると、剣道の団体戦を思い出して、胸が苦しくなるのだ。
あの手の団体戦は、「団体戦」といってもリレー形式にバトンを渡せるわけでもなく、全員分のポイントを積み重ねるわけでもない。
すなわち、究極には「個人戦」なのだ。
なのに、全員が気持ちをあわせると個々のパフォーマンスが上がるという、不思議な戦い方なのである。
これは、剣道の団体戦と全く同じだ。
先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人が個々に個人戦をし、先に3勝した方が勝ち(引き分けあり)というルールである。

卓球の団体戦を見ていると、どうしても剣道の団体戦を思い出して、胸が苦しくなった。
ぼくには後悔しても仕切れない思い出がある。
それは中学2年生のときに、先輩を差し置いて3年生の最後の大会に団体戦のメンバーとして出場したときのことだ。
ぼくはあろうことか、先鋒という勢いをつけることが使命のポジションで出場したのに、「全敗」してしまったのである。
そして、そのぼくの「全敗」の結果は、同じく出場した同級生の次鋒による「全勝」でカバーされたが、結局は地方大会で敗退することとなった。
敗因がぼくの「全敗」であることは明らかであったが、誰にも何も言われなかった(いや、実はその次鋒の同級生にはのちのち指摘されたが笑)。
その理由は、大会の開始前円陣を組んだ際に、「どのような結果になっても、誰かを責めることはやめよう。いい大会にしよう」と主将が言っていたからだ。
おそらく、これはぼくのために言っていたセリフだと思う。
ぼくのプレッシャーに弱い性格を見越して、あらかじめ気楽に戦えるようフォローしてくれていたのだ。
にもかかわらず、結果を残すことができなかった。
今でも覚えていることは、せめてぼくが1つか2つ勝つか、最悪引き分けていれば勝ち進めたであろうほど、ぼく以外のメンバーは素晴らしいプレーをしていたということである。
地方大会のしかも最初の大会で敗退が決まって、個人戦が始まる前に、
1番悔しいはずのずっとお世話になってきた先輩が面を着付けてくれて、その際に「お前にはこういう思いをさせたくないから、しっかり練習頑張れよ」と後ろから(面を着付けているので)頭をポンポンしながら言ってくれたことも記憶している。

このエピソードには実は続きがあって、
•その後の個人戦ではなぜか勝ち進んでしまったこと、
•その勝ち進んだこと自体、先輩(上記の励ましてくれた方とは別)が相手を偵察して情報を教えてくれたことによること
•それだけ不甲斐なかったのに、次期主将に指名されたこと
•にもかかわらず、卒業するまで満足できる結果を残せず、キャプテンシーも発揮できず、メンバーに迷惑をかけたこと
•あまりの悔しさに、「こんなしんどい競技は続けない」と思っていたのに、高校でもなんとなく続けようと思ったこと
•高校は共学になったばかりだったので、男子1人で女子に混ざって1年間練習したこと
•1年後に自分以外全員後輩のメンバーを揃えて、男子初の団体戦勝利(たしか2勝)を勝ち取ったこと
•その後高2か高3くらいになって、防具を背負って地元を歩いていたら、先述の面を着付ける際に励ましてくれた先輩と偶然会って、「続けてるんやな」と嬉しそうに言われたこと
等を記憶している。

この思い出は、思い出でありながらぼくの心に檻のように溜まっていたもので、人に話したことはあまりない。
剣道は今でも好きになれないけど、それでも6年間続けた中で、たくさんのことを(特に、苦いものを中心に)学んだように思う。