松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「スマホ依存症」とは何か

少し前に朝のAMのラジオでアナウンサー(たぶん年配の男性)が変なことを仰っていたので気になった。
いわく,

「最近の人はスマホ依存症であり,誰もかれもが意味もなくスマホを触っている」

とのこと。
「意味もなくタバコを吸う」と,たばこと並列して述べてすらいらした。

しかしながら,「スマホ依存症」とは一体なんだろうか?もう少し考えてみるべきだと思う。
スマホというのは,実は単なる道具であり,経路である。
スマホの先に,ツイッターフェイスブックといったSNSや,ゲームや,スケジュール帳等,さまざまなものがある。
すなわち,「依存」ということを考えるとき,依存先はスマホそれ自体ではなくて,スマホを道具として操作している先(おそらくはアプリ)にある,というのが正確な表現だろう。
スマホ依存症」ではなく,「ツイッター依存症」「フェイスブック依存症」「ツムツム依存症」と言うべきである。
その意味で,「最近の人はスマホ依存症」というのは,全く本質を捉えていない,きわめて表層的な見方であると言えよう。

このことは,別のケースを想定するとわかりやすい。
たとえば私は仕事で一日中パソコンを触っている。
では,それは「パソコン依存症」と呼ぶのか?ということである。
言うまでもなく,パソコンはツールであって,実際にしているのは仕事であり,そのための道具としてパソコンを使っているに過ぎない。
だが,件の理論を援用すると,私は「パソコン依存症」であると言える。
これで「スマホ依存症」理論がおかしいことが腹落ちするだろう。
パソコンのケースでいえば,「お前は仕事依存症だ」と言うべきであって,「パソコン依存症だ」と言うのは表面的に過ぎよう。

意味もなくスマホを扱っているのではない。
「意味もなくゲームをしている」「意味もなくSNSを見ている」と表現するなら正しい。
とはいえ,残念ながら人の行動を表層的に切り取って議論されることはままある。
人の行動が表層的に切り取られて議論される理由は,その方が楽だからだ。
切り取り方を表層的にすれば,反論を許すことなく一方的にレッテルを貼って,自分の価値観で断じることができる。
私はこれを,「居酒屋のオッサン化」と呼んでいる。
言い過ぎかもしれないが,フェアネスに欠け,卑しく,恥ずかしいことだとすら思っている。
自分はそういうものの見方をしていないか,常に反省したいところである。