松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

実家で飼っているねこの話をする

実家で飼っているねこの話をする。

“彼女”が我が家にやってきたのは、ぼくが高校1年生の夏、15歳の頃だった。
いや、「やってきた」ではなく、「居座った」と表現した方が正確だろう。
“彼女”は生まれたての子ねこで、実家の裏口からまるでぼくらを呼ぶかのように、小さく鳴いていたのがそもそもの始まりだった。
あまりにもはかなく鳴くもので、母親が「少しだけ」といって戸口でごはんをあげるようになったと記憶している。
そもそもぼくの両親に動物を飼うという意思はなかった。
母親は動物嫌いではなかったと思うが、子どもたちへの健康面の影響を気にしていた。
加えて、父親は純粋に動物が好きではなかった。
それゆえ、幼い頃から、ぼくら子どもの「動物を飼いたい」という願望は、全く叶えられる気配がなかった。

にもかかわらず、“彼女”は母親の砦を打ち破り、時々我が家で時間を過ごすようになった。
なぜそういう風になったのか、今ではあまり思い出せない。
ただ一つよく覚えている場面がある。
そのとき、ぼくは家に1人でいて、家族は外出していたと思う。
家族が外出先から帰ったとき、“彼女”は裏口ではなく玄関先で待ち構えていたのだろう。
「入ったらダメだよ」という制止はおそらく無視され、脱兎のごとく進入し、リビングのソファーで座るぼくの膝の上に飛び乗った。
そんな風にして、“彼女”は我が家に「居座る」ようになった。
名前は妹がつけた。
問題は、動物嫌いの父親である。
子ねこというのはかわいいもので、ダイニングテーブルに飛び乗ることがある。
しかも食事中にだ。
父親は、“彼女”のそうした行動を極度に嫌がるので、そうした場面になると、“彼女”は必ずダイニングテーブルから降ろされるようになった。
それでも、ねこは賢くない。
「飛び乗りたい」と感じたら、勝手に飛び乗ってしまう。
イタチごっこだった。

いつしか、父親も何も言わなくなった。
何も言わなくなっただけではない。
むしろ自ら話しかけるようになった。
ダイニングテーブルに飛び乗っても、降ろされることはない。
「お相伴か」といって笑われるようになった。
もちろん、ぼくらが食べている食事を舐めようとすると、止められる。
でもそれはぼくらがイヤだからではなくて、人間の食べ物がねこの体に悪いと思ってのことだ。
ある時期から、外に出すのはやめて、家ねこになった。
外に出して、大怪我をして帰ってきたことがあるからだ。
本来は野生動物、もう少し自由に生きたかったかもしれない。
けれど、健康にいい食事をし、多分ストレスなくたくさん寝て、家族を癒しながら長生きしている。

今ではダイニングテーブルから飛び降りるのに、時々失敗するようになった。
膝の上にもほとんど来なくなった。
前はトイレのあとは必ず走り回っていたけれど、最近ではダッシュしたあとすぐ立ち止まるようになった。
15歳、歳をとったのだ。同時に家族全員が歳をとった。
歳をとるということは、変わるということだ。
けれど“彼女”は1番変わっていない。
“彼女”を介して始まる家族の会話もあったように、日常の中で自然に長生きしてもらいたいと願う。