松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「こんなおっさんにはなりたくない」と思った話

「こんなおっさんにはなりたくない」と思った話をしよう。
「お前もおっさんやないかい」という突っ込みは留保していただいて。

比較的よく行くチェーンの定食屋があるのだが,そこでの出来事である。
おっさんはたぶん40台中盤くらい。店員さんに文句を言っていたところを見た。
どうやら,自分の方が先に入店していたのに,後から入った人に先に商品が提供されたのが気に食わなかったらしい。

「順番間違えんなよ!」

とキレていた。
わざわざ立ち上がって,店員さんのところまで行っていた。
店員さんは,「本当にそうですよねえ。すみません。申し訳ありません」と何度も頭を下げていた。
きわめて気の毒である。
いやいや,そんなことくらいあるやろと。
お店の運営方法なぞ客にはわかるまい。もしかしたら,出す商品によって調理時間が違うのかもしれない。
仮にそれが「順番を間違った」ことだとしても,時間差はせいぜい5分くらいのもんである。
おっさん5分も我慢できないほど多忙な人なんかいと。
多忙なのに,チェーンの定食屋には入るんかいと。

このほかにも,かなり年配のおじいちゃんが同じ店で魚の焼き加減を細かく指定していたことがある。
いやいや,チェーン店やぞと。魚の作り方なんて標準化されてるやろと。
もちろん,「作った感」「出来立て感」は醸し出すだろうが,工程は標準化されているのが当然である。
本当に作ったら,もっと時間がかかる。まっとうに働いてる人なら,そのくらいのことはわかるだろう。
それでもそのように「作って」ほしいなら,パパかママに頼みなさい。
もしくは,もう少し高いお金を払うお店に行きなさい。
そう思うのである。

せいぜい1,000円未満のお金で,なぜそんな高度なサービスが受けられると思っているのか。
そのような愚かな態度には,疑問しか抱けない。
お店のサービスは無料ではない。対価と交換である。それが市場経済社会のルールである。
翻ってそのサービスにふさわしい対価を自分は払っているのか。そのことに自覚的でありたいものである。
ぼくの感覚では,1,000円未満のお店で店員さんに注文をつけるのは,シンプルにダサい。
色々と注文をつけたいなら,それなりの料亭にでも行きましょう。
どうして大した対価を払っていないのに,接遇だけは料亭並みにしてもらえると思っているのですか?