松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「俺はこんな大学に来る人間じゃなかった」と考えている大学1年生へ伝えたい3つのこと―いわゆる「学歴」コンプレックスについて―

自分は,神戸市の私立大学で大学職員という仕事をしている。
学生支援部門で4年,教務部門で4年を過ごした。仕事柄,さまざまな学生さんを見てきた。
そうした経験から,以前から感じていたことを伝えたい。

①入った大学がその人の実力である

「受験に失敗した」というのはよく聞く言葉である。
この理屈はおかしい。
センター試験で失敗したから?
2次試験の出題傾向が変わったから?
一般入試の英語で長文問題を読み誤ったから?
だからなんだというのか。
あなたが「失敗した」というその裏側では,「失敗していない」人もやはりいるではないか。
「失敗した」という人は,この差をどう説明するのだろう。
要するに,失敗したかどうかは結果が決めることであって,失敗したことも含めてその人の実力なのだ。
いや,わかってはいる。
本当は,こういうことをいう人も,そんな当たり前のこと,本当のことはわかっているはずだ。
それでも,「失敗した」と言いたくなってしまう。
なぜなのか。それはこういうことだ。
「俺はこんなところに来る人間じゃなかった」と表現したいだけなのだ。
「俺はお前たちとは違う」ということを主張して,自分の感情を保ちたいのだ。
それは周りにいる,これから友人になるかもしれない人に対してとても失礼なことだ。
何より,大人として情けないことだ。
一人の大人として,自分の感情を保つために,下らない言い訳をするのはやめよう。

②「学歴」は関係あるけれど…

本当は学歴というのは,学士・修士・博士という学位のレベルのことを指すのだが,日本でいう学歴は学校の名前のことで,本来は「学校歴」と呼ぶべきものだ。
しかしながら,日本では「学校歴」のことを一般に「学歴」と呼ぶので,ここではカギかっこ付でそう記す。
残念ながら,日本社会ではまだまだ「学歴」は大きく関係する。
具体的にそのことを実感するのは,就職活動のときであろう。
日本企業には,「学歴」フィルターというものが存在する。
採用サイドに,このあたりのランクの大学から何人とれ,という目標が決まっていることも多い,ということだ。
このシステムは,主としてウェブエントリーによる選考を効率的にするために維持されていると考えられる。
ただし,この「学歴」フィルターというのは,あくまで土俵に上がれるか上がれないか,という違いしか生まない。
就職活動は大学入試とは違う。何かの指標で高得点をとれば採用してもらえる,というわかりやすい世界はそこにはない。
また,「学歴」フィルターがあるのかないのか,あったとしてどのレベルなのか,というのは,業界や職種に完全に依存する。
たとえば,私の現在の仕事である教職課程,すなわち公立学校の教員採用試験において,「学歴」フィルターは存在しない。
その意味で,就職の問題を「学歴」フィルターのせいにするのはナンセンスだ。
「学歴」フィルターの要件を満たしていれば,その企業に本当に採用される力があると言えるのか?
大学入学手前までの実力を,企業がその人の実力として部分的に(しかも本当にごく一部を)代理評価することはそんなに問題なのか?
自分の実力のなさを「学歴」のせいにするくらいなら,今すぐ退学して(あるいは仮面浪人や編入学をして)よりランクの高い大学に再度入りなおすべきだ。
それができないなら,今があなたの実力であることを認めるしかない。

③勉強は一生続く。そこでやめるか,やめないか

本当の勉強は,これから始まる。
一番恥ずかしいのは,大の大人がいつまでたっても偏差値や「学歴」の話をし続けていることだ。
そうしている間にも,学ぶべきことは目の前を通り過ぎていく。
コンプレックスというのは,要するに囚われのことだと思う。
気になるということは,その現象に自分が囚われるということだ。本当はもっとすべきことがあるかもしれないのに。
「学歴」コンプレックスに囚われて,自分を諦めて,今するべき学びをスルーしてしまうことが一番恐ろしい。
そういう人は,いつまでも自分の実力のなさの大部分を「学歴」のせいにして,ときどき偏差値や「学歴」の話をしたがる。
18歳時点の偏差値や「学歴」は,OSのようなものだと考えればいい。
現時点で身に着けたOSが,今そのまま評価されるのは当然である。
でも,OSはアップデートしないと,簡単に錆びていくことも忘れてはならない。
大学に入ったとたん,就職したとたん,学ぶことを辞めてしまう大人はたくさんいる。
4年間は長い。
「俺は大学のとき全然勉強せず遊んでいた」などということをドヤ顔で言うような大人になってはいけない。


以上,「俺はこんな大学に来る人間じゃなかった」と考えている大学1年生へ伝えたい3つのことを,いわゆる「学歴」コンプレックスに絡めながら述べてきた。
「第一志望」に希望通り入れる大学生なんて,そんなにいない。みんなどこかに落ちている,いわゆる不本意入学だと思えばいい。
「俺はあの大学に行きたかった」と思うその大学も,やはり別のどこかに落ちてそこに入った人ばかりなのだ。
要するに「学歴」コンプレックスなんて自意識の問題だから,さっさと捨て去るに限る。
そうしたときに,私のような大学で働く教職員は,「ここで学べてよかった」と卒業時に言わせられる力があるのかどうか,真実試され続けているのである。