松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「紳士とは何か?紳士とは,その業界のトップを牽引する人である」―京都橘高校元校長,木内正廣先生の言葉―

京都橘高校の思い出

私は,京都橘高校という私立学校に2001年に入学し,3年間の高校生活を過ごした。
当時はいいことも悪いこともあったはずだが,人間の記憶というのはエラいもんで,基本的にいいように上書きされている。
今でも高校の友達とはよく遊んでいることが,その証左である。
この学校は元々女子高で,私が入学したのが共学2期目であった。
つまり,1つ上の先輩は共学だけど,2つ上には女子しかいない,そういう不思議な空間であった。
このときの男女比は,男1で女は9。
全校生徒1,000人のうち,男子はたった100人であった。
このため,入学したての頃に,最寄り駅であった京阪宇治線桃山南口駅で電車を降りると,「自分以外全員女子だった」という被害も受けた。
(なお,それ以来,必ず友達と約束してから行くようにした)
入学前は,「女子にいじめられるらしい」「女子が男子トイレに入ってくるらしい」といった,男子が虐げられるエピソードをさんざん中学校の同級生から聞かされたが,そのようなことはなかった。
どうも1個上が入学した頃にはあったらしいが,自分のときにはなかった。
そんな学校である。
なぜそんな学校に入ったのか?もちろんモテたかったからです。

「紳士とは何か?」

私の学年は100期生だったので,27歳のときと37歳のときに,ホームカミングで―のような形で学校に集まることになっている。
17歳当時,将来の自分に向けた手紙を書いた(自分は,「ただ生きるのではなく,善く生きたい」といったことをイキって書いていた…)。
27歳のときの集会が,既に3年前に終わっているわけだが,そこには元校長として,標記の木内正廣先生が来られていた。
そこの挨拶で,「昔,男子だけをホールに集めてした話を覚えているか?」と話されはじめたのが,この話題である。
大体次のような感じである。

君たちが在学していたときは,まだ男女共学になりたてでしたね。今は随分と男子が増えました。
私たちは,男子には随分力を入れて指導していたつもりです。
ダラしない服装をしない,たとえばシャツは出すなといった細かいことから,勉強のことまで。
その当時,男子だけを集めてホールに集めてした話を覚えていますか?
私は,こういうことを言いました。
「君たちは,橘紳士たれ」と。
そのとき,こうも言いました。
「紳士」とはなんでしょうか?と。
「紳士」とは,その業界のトップを引っ張っていく人です。
そういう人になってください,という意味で,「橘紳士たれ」と言いました。
男子のみなさんは,今そうなってくれたでしょうか。

自分は「紳士」か?

まず,私は正直なところ木内先生がどんな先生か,あまり存じ上げない。
おそらくは日本史の先生であったと思うが,直接教えていただいたことはない。
たぶん,入学するときに親同伴の面談があったので,そのときお話しさせていただいた程度であろう。
(なお,そのときは「尊敬している人は?」と聞かれて,これまたイキって「小和田哲男」と答えた)
そして,上記の,男子だけを集めてした話,というのも全く記憶になかった。
しかしながら,このホームカミングデー的なもので改めてその話を伺って,衝撃を受けた。
それは,「自分は紳士になれたのか?」という問いを,自分に対してしてしまったからである。
27歳当時の自分の答えは「全くなっていない」というものだった。
これはもう,どうしようもなく正直にそうであった。
この日の出来事によって,自分はスイッチを入れて,今に至る。
以来,その業界を引っ張っているところの「紳士」足り得ているのかどうか。
それは,自分では評価できないことだと思っている。
業界の内外,すなわち市場が評価することだろう。
ただ,これ以上ないという努力は尽くしてきた。
今もこれからも,ベストを尽くすことに変わりはない。
その意味で,今の答えは,「紳士足り得ているかどうかはわからないけど,今もこれからもそのためにベストを尽くす」ということになると思う。


以上,やや京都橘高校ステマのような記事を書いてしまった。
私はこの母校に大変感謝しているし,できることがあればいつでも力になりたいと思っているということを書き添えて,このエントリを終えたい。