松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

ジーコジャパンには夢があった

今年は2016年、つまりドイツワールドカップから10年がたつ。
私は今でもワールドカップでベスト16の壁を破れる可能性が1番あったのは、当時のジーコジャパンだったと考えている。
何しろ、ジーコジャパンには夢があった。

夢その1:黄金のカルテット

中田英寿中村俊輔小野伸二稲本潤一の4人を中盤に並べる布陣を、「黄金のカルテット」と呼ぶ。
これは、かつてのブラジル代表のジーコファルカンソクラテストニーニョ•セレーゾの4人に由来する。
当時の中田、中村、小野、稲本は言わずと知れた日本のトップスターであり、イタリア、オランダ、イングランドで活躍する「海外組」であった。
今でこそ海外移籍する選手は全く珍しくないが、中田がペルージャに移籍して活躍するまでは、日本人選手の海外移籍そのものが難しかった。
このため、海外移籍できる選手は、能力的にもメンタル的にも、一部のトップスターにほぼ限られていた。
また、日韓ワールドカップを率いたトルシエは、「フラットスリー」戦術が象徴するように、規律を重んじるマネージャーであった。
日本のスターであった4人を並べたら…というのは、誰もがサッカーゲームでしていた妄想ではあったが、トルシエジャパンでは戦術上の理由から実現されなかった。
そんなウイニングイレブンにおける妄想を、就任後の初戦で実現させたのがジーコだったのである。
実に夢があった。

夢その2:規律から創造へ

前述したように、フィリップ・トルシエは規律を重視する監督であり、自分の思ったとおりに動くことを選手に要求した。
彼はそのやり方でたしかに、ワールドユース準優勝、自国開催のW杯で決勝トーナメント進出など、華々しい結果を残した。
ただ、日韓W杯終了後、日本のファンはある種の閉塞感に包まれていた。
そう、トルシエの戦術というのは、端的にいえばフラット3によってオフサイドトラップをかけるということと、前線でFWが体を張ってセットプレイをとることの2つであった。
このため、あまり見た目が美しくないというか、面白くないという問題が第1にあった。
第2に、どうもそのやり方では、ベスト16を超えることはできないのではないか、という限界感があった。
一方、日韓でベスト16を収めたチームは、20代前半の若さと才能溢れる選手中心であった。
彼らが選手としてのピークを迎える2006年度ドイツ大会で、どういう戦いをするのか。
規律から創造へ。それが日本サッカー協会の出した答えであり、ジーコという監督が選ばれた理由でもあった。
正直にいって、ジーコ・ジャパンは波が激しかった。ただ、ハマるときはめちゃくちゃハマった。
実に夢があった。

夢その3:見出された才能、加地亮

久しぶりにこの名前を思い出した。
ジーコジャパンの夢、というテーマにおいて、個人名を示すのは問題があるかもしれない。
しかしながら、彼こそが、ジーコが見出した最大の才能であったといえる。
ジーコはブラジル人なので、4-4-2の布陣をひきたがった。
一方、アジアカップを勝ち上がった「国内組」は、3-5-2に慣れていた。
どっちでいくのか?という揺れがジーコジャパンには常にあって、システムというものへの議論を加速させた。
さらに、日本にはトルシエの「フラットスリー」の後遺症があって、当時のJリーグは3バックのチームばかりだった。
今でこそ素晴らしいサイドバックは何人もいるが、当時は戦術上の理由から、サイドバックを担える選手がそもそも非常に少なかった。
このことから、国内組を中心とした「慣れている3バックで戦いたい」という意見には、一定の合理性もあった。
そんな時代の趨勢にあって、なぜか4バックを積極的に採用しているチームがあった…!
それが原博実の指揮するFC東京である。
監督時代の原さんの有名なエピソードとして,Jリーグの監督に対して行われた、採用しているシステムにかかわるアンケートにおいて、4バックを採用している理由について、すべてに「4バックが好きだから」「4バックが好きだから」「4バックが好きだから」…と答えた、というものがある。
そんな原さんの元で新進気鋭の右サイドバックとして台頭したのが、加地だったのである。
彼のすごさは、2005年に行われたコンフェデレーションズカップのブラジル戦、開始5分の幻のゴールを見ていただければすぐわかる。
今考えても、オフサイドでないように見える。このゴールによって彼は「キング・カジ」の名称を確定させた。
実に夢があった。


以上の夢は、ぜひ以下の動画で確認してほしい。
www.youtube.com

なお、以下も悪くない。
ポイントは、私のアイドルである柳沢敦コーナーキックのこぼれ玉を頭でつなぎ、そのまま起き上がって走り出して再度ボールを前に(しかもダイレクトで)はたき、高原のゴールをアシストしたことである。
まあ、この試合は、当時サイドアタッカーであったシュヴァインシュタイガーキング・カジが削られてケガをし、しかもこの試合にピークを持ってきたことによって、本番は負けてしまったといういわくつきのものではあるのだが……。
www.youtube.com
そのほか、イングランド戦のパス回しもよかったのだが、動画がなかなか見つからず、探すのをあきらめてしまった。
いずれにしても、すごく夢があった。