松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

競争的な資金配分は,過去の威信を一層強化する結果にしかならないかもしれない―高等教育目標論特講(大学と社会の接続):藤村正司先生の課題から―

◇講読文献

丸山文裕(2013)「2 高等教育への公財政支出の変容」広田照幸・吉田 文・小林傳司・上山隆大・濱中淳子編『大学とコスト―誰がどう支えるのか』(岩波書店),pp.49-76.

大学とコスト――誰がどう支えるのか (シリーズ 大学 第3巻)

大学とコスト――誰がどう支えるのか (シリーズ 大学 第3巻)

◇内容

この論稿では,日本の高等教育の公財政支出について,特に(1)国立大学への運営費交付金(2)科学研究費補助金(3)国立大学への施設設備費補助金(4)私学助成(5)学生支援」の5つの構成要素から概観し,現状と問題点を指摘する。詳細には次のとおりである。
 第1節では,しばしば言及されるわが国の「GDPに対する高等教育への公財政支出の少なさ」に関する事実確認を行っている。具体的には,政府と民間をあわせた総投資額はヨーロッパ諸国とほぼ同等であるにもかかわらず,そのうち公財政出が占める割合は半分程度であるという。また,学生一人当たりの高等教育経費や在学年累積高等教育経費もヨーロッパ諸国と同水準である。このことから,マクロレベル・ミクロレベルのいずれにおいても,公財政支出の少なさを民間支出が補っていることがわかる。第2節では,高等教育への公財政出が,しばしば社会や経済の影響を受けてきたことを示している。たとえば,1990年からの「第二次進学率上昇期」では,「第一次」(1960年から75年)と比較して支出の拡大が追い付かなかった。これには,1990年頃に18歳人口がピークを迎たこと,バブル経済が崩壊したことが大きく影響しているという。加えて,今後再び支出が拡大するには社会保障費をはじめとする歳出の削減等が必要となるが,それらがあまり期待できないことも併せて指摘される。第3節では,主要な公財政出の時系列変化を確認する。国立大学への運営費交付金は伸長と停滞を何度か繰り返したのち,2004年以降は次第に減少している。科学研究費補助金は元々伸長基調であったが,1990年以降にさらに拡大し,ここ数年の伸びも大きい。1970年に本格化した私学助成も,1990年頃から毎年微増傾向にある。奨学金は1960年から80年あたりまで一旦伸び,その後停滞ないし減少し,1995年から再び増加に転ずる。
以上の3節に続いて,以下では冒頭に示した5つの構成要素のそれぞれについて検討が加えられる。第4節では,国立大学の運営費交付金が減じられる代わりに,業績に基づく自由裁量が拡大したことを指摘する。大規模大学と地方・小規模・単科大学ではこういった変化への評価は別れており,前者では前向きに,後者では後ろ向きに,いわば対照的に捉えられている事実が付されている。第5節では,運営費交付金のような基盤経費が減じられる一方,競争的資金である科学研究費補助金は増額されており,配分方式も大学配分から個人配分へシフトしていることが示される。第6節では,国立大学の施設整備は法人化も政府の仕事と捉えられており,施設設備費補助金を概算要求によって獲得する―このため,年次計画に施設関連のものを具体的に記述できない―というプロセスの問題点を指摘している。第7節では,私学助成の歴史的経緯と概要を整理し,その中で基本金制度という独自の仕組みが影響を与えてきたことが示される。第8節では,学生支援,中でも授業料と公財政支出との関係性が述べられている。具体的には,大学の授業料を公財政支出の観点から見てみると,負担の主体は家計であることが問題となる。このとき,まずは国立か私立かという負担額に差が発生し,さらに進学するかしないかという違いによって,進学しない者の家計の税も大学への国庫助成に使われることに注意を要する。
 第9節では,まとめとして今後もわが国の公財政支出の増額が期待できないことを再度確認する一方,現在のような配分方法(「機関助成から個人助成」「基盤的平等的経費配分から競争的プロジェクトベース配分」)が必ずしも成果を担保しない可能性がある,という問題を提起している。

◇内容から考えること

 今回課題となった論稿を拝読して,2つのことを考えた。
 第1に,公財政支出の問題に言及する際の「学生一人あたり……」という表現は,使う場面を適切に判断する必要があると思われる。なぜなら,公財政支出のうち最も大きな割合を占めるのは国立大学への運営費交付金である一方,わが国の大学生はその多くが私立大学に属しているからである。たしかにマクロな視点で論じる場合にはわかりやすい指標ではあるが,常に適切とは限らない。
 第2に,競争的な資金配分が過去の威信を一層強化する結果にしかならないかもしれない,という問題である。競争的な資金配分は,適切な市場競争によって最適を目指すことに本来の目的があるはずであろう。しかしながら,仮に大規模で威信の高い大学にとってのみ有効に機能するのであれば,配分方法のシフトが進むにつれてさらにその状態が加速することになる。地方の国立大学は進学機会の確保のために非常に重要であると考えることから,こういった状態が加速することは避ける必要があると考える。
 いずれにせよ,他国との比較から盲目的に高等教育への公財政支出を増加させよと論じるのは簡単であるが,高等教育にかかわる者としてどう政府に働きかけるかが重要である。さらに,社会的立場を離れたとき,一人の市民として何を望むかもまた難しい問題である。