松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

「アクティブラーニング」とは何か。そしてなぜ重要か。―大学教育論特講(内容と方法):佐藤万知先生の課題から―

◇講読文献
溝上慎一(2014)「第1章 アクティブラーニングとは」『アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換』(東信堂),pp.3-23.

◇課題
*アクティブラーニングとは何か
 「アクティブラーニング」は、溝上(2014)に従うと以下のように整理することができる。
―定義
 「一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う。」と定義できる。
―批判から示唆される含意
 よくある批判は、
 (1)そもそも、受動的な学習なんてあるのか
 (2)しっかり講義を聴くことも能動的な学習ではないか
 の2点である。こうした批判からは、アクティブラーニングの定義の含意を得ることができる。(1)については、「学習するという行為それ自体の性質は示していても、どのように学習しているのかという行為の相対的な特徴については、何ら述べられていない」とコメントすることができる。すなわち、アクティブラーニングは行為の相対的な特徴(能動的/受動的)に意味があるのであって、行為それ自体では意味をなさない。(2)については、「書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う」ことがアクティブラーニングの含意の重要な点である、とコメントできる。すなわち、「聴く」という学習のみではアクティブラーニングとみなすことはできないのである。
―講義もなお重要
 アクティブラーニングは「学生の「聴く」なかで起こるそのような学習態度を否定しているわけではな」く、「これからも大いに推奨されるべきものである」。また、「保守派」教員の「聴く」観を否定しているという直情的な誤解を招くことを避けるため、「アクティブラーニング」と「アクティブラーニング型授業」を概念的に区別し、後者を積極的に用いた方がよい。

*なぜ重要か
 端的にいえば「学習を通して身につける技能や態度(能力)が社会に出てから有用」だからである。また、フィンク(2003)はアクティブラーニングを「意義ある学習経験(significant learning experience)」を創出するために不可欠なものと定義しており、かつ学習の意義の視野に学習者としての人格的・人間的成長までを含んでいる。このため、アクティブラーニングは技能や態度だけでなく、それらの育成を含めたより広範な目標への結実にも繋がるものであると考えられる。