松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

クリーニングのシミ抜きを依頼したときに、毎回「100%落ちるとは限りません」と言われることにイライラする―「言いましたよ」というアリバイ仕事への苛立ち―

クリーニングでいつもお世話になっているお店があるのだが、シミ抜きを依頼するたびに「100%落ちるとは限りません」と必ず言われる。
これを言われるたびにわりとイライラしてしまう。
イライラの中身なのだが、
・そんなことはわかっていますよ
・プロなのだからその範囲でベストを尽くしてもらえればいいです
・「言いましたよ」というアリバイ仕事はやめてください
の3つに尽きる。
3つめが特に大きくて、おそらくこう言っておかないと、「なぜ落ちていないだ!」と言いだすお客さんがいるのだろう。
そう言われた場合に、最初に「100%落ちるとは限らない」とさえ言っておけば、「だから言ったじゃないですか」と反論し、お店の立場を守ることができる。
自分はそういう理不尽なことを言う人間ではないという気持ちもあって、もちろん態度には出さないが余計にイライラするのである。

私はこういう仕事を「アリバイ仕事」と呼んでいる。
「言っておくことに意味がある」「言いましたよという事実を残しておくことに意味がある」といった論法である。
大学にも比較的多い。
誰も見ない場所にある掲示、細かすぎて分かりにくい説明文など。
こういった「アリバイ仕事」の、基本的なコミュニケーションを放棄することで自分を守っているところが嫌いである。
要するに、相手のことではなく自分のことを大事にしているのである。

前述のクリーニングのお店についても、もしかしたらマニュアルに文言があるのかもしれないが、このように毎回不快な思いをお客さんにさせてしまっては、本末転倒である。
「アリバイ仕事」にはそういった問題を潜在的に孕んでいるので、短期的に自分を守れたとしても、長期的には不利益にしかならない。