松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

学振もそうかもしれないけど、ポスドクの問題も大きい

id:tomotsaan さんのこちらの記事がバズっているようです。d.hatena.ne.jp

この方は一度社会人を経由してから博士後期課程に入り直し、学振に通ったという方で、同じ道を歩もうとする人に「すごく割に合わないから辞めた方がいいよ」という警鐘を鳴らすと同時に、日本の科学への投資のしなさに関する問題提起をされています。
特に身につまされたのは、以下の部分です(赤字は引用者)。

修士から上がってきて、学振をとった院生は「研究しながら月20万円ももらえるなんてすげぇ!」と喜ぶ。僕からすると「こんなに優秀な研究者の卵を月20万円で働かせるなんて日本の科学教育すげぇ!」だ。それまで無給でアルバイトや親の仕送りに頼ってきた学生の目線からすると、月20万円は大金なのかもしれない。だけど一度会社で働いて、社会でどれくらいの能力の人間がどれくらいの給料をもらっているのかを目の当たりにすると、朝から晩まで働き、10年後の日本のアカデミアをリードする人間のほとんどが含まれているであろう彼らに、たったの年収240万円しか払わないなんて、なんたる搾取かと思う。そうでなくても、ほとんどの大学院生は、法外な授業料を払い続け、途方にくれる額の借金(なぜか名前は奨学金)を抱えているというのに。

私は社会人としての身分を保持しながら博士課程前期に通学しているわけですが、その経験から限りなくこれに近いことを、ポスドク(あるいは研究員)身分の方とお話した際に感じたことがあります。
ポスドクというのはポストドクトラルフェローの略で、ふつうは博士の学位を取得したあとに、パーマネントでない業務に研究機関等で従事する方をいいます。
大学関係者なら誰でも知っていることですが、博士の学位をとってもなかなかパーマネントに就けない方が増えていて、いわゆる「ポスドク問題」として社会問題化しています。
たとえば過去には、以下のような書籍が一般に売れたこともありました。

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

博士漂流時代  「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)

博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)

こういうまとめもあります。matome.naver.jp

さて、本題です。大学院に進学したことによって、複数ポスドク身分の方とお話する機会に恵まれました。
まず感じたのは、その圧倒的な能力の高さです。そして、前述の引用記事と全く同じことを思いました。
ポスドクの方は、私が100回生まれ変わっても勝てないだけの頭脳を持ち、非常に高い能力をもっているのに、自分より安い待遇で働いていらっしゃる。
パーマネントでないので、将来も見えない。なんたる理不尽さかと。大きな国家的損失ではないかと。
学振の問題とも共通して言えることは、もう少し我々は科学や頭脳というもの、その可能性にもっと投資をすべきではないだろうかということです。
直接触れ合って、その凄さを実感しているので、自信をもってこのことを主張できます。
能力の高い人に投資し、その人が社会に価値を還元する。素朴に、それが社会の健全なメカニズムではないだろうかと思います。