松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

職場に「いる」ことはマイナスでしかない


これはいつも思っていることですが、職場に「いる」ということは、光熱水費を消費するだけなので、「いるだけ」では組織にとってマイナスにしかならないと考えています。
しかしながら、職場ではしばしば「いるだけ」を要求されることがあります。これはどのような組織においてもあることだと思います。
たとえば勤務時間。ある時間からある時間まで在席しなければいけない。これは基本的には知識労働の発想ではないはずです。
知識労働の発想では、「いるだけ」になるならむしろいない方がいい。いないならば0ですみますが、「いるだけ」ならマイナスになってしまうからです。

これは私のいるような大学の教務系のセクションでも同様だと考えています。
学生が窓口にやってきたときに、依頼が誰でもできることであれば、私のようなコストの高い職員が対応することはむしろ無駄になってしまいます。でも、学生が私を名指ししてきたときは別です。
このため、自分は出張でいないときなんかもありますので、学生には相談等あるときはできるだけ事前に日時を教えておいてほしい、と頼んでいます。
こういうことをやっていると「いる」ことにあんまり意味はなくて、

「いることによって生んでいる価値」-「いることによって発生しているコスト」>0

になることを意識するようになってきます。これが私の中での生産性の定義ですね。
この数値をいかに高めていくか、ということをいつも意識しているつもりです。
そのためには、今の自分がただ「いる」だけになっていないか、ということをいつも内省しておく必要があると考えています。