松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

ジェネラリストこそ頭でっかちになる必要があるのではないか?という仮説。

最近もっているのが、「ジェネラリストこそ頭でっかちになる必要があるのではないか?」という仮説である。
ここでいう「頭でっかち」というのは、理論を学んでいるということを指し示している。
一般には、スペシャリストこそ理論を深く学び、ジェネラリストは広く問題解決に当たるというイメージがあるのではないか。
しかしながら、最近大学院に通いながら思っていることであるが、「理論には汎用性がある」のである。
つまり、理論というのはメタ的な汎用性があるから理論たりうるのであるのであるから、ある理論を学べばその理論は他の事象にも適用できるはずである。

大学職員には、人事異動がつきものだ。
自分の話をいえば、まだ学生支援と教務の2つしか経験していない。
しかしながら、大学の事務職員として必要な理論的枠組みはこの2つの部署でほぼ体得したと考えている。
おそらく、経理だろが、国際交流だろうが、総務だろうが、現在体得した理論的枠組みを援用して、今と全く同じパフォーマンスを出すことができるだろう。
理論を目の前の事象に当てはめればいいだけの話だからだ。
もちろん、多少のズレは生じることもあると思われる。しかし、ズレは修正すればよい。
さらにいえば、ズレが生じていると理解できることそのものが、理論を体得していることの賜物である。
理論を体得していなければ、事象をメタに俯瞰できないので、ズレていることそのものに気づくことができない。
そのように、異動したらフィットするのに少しの時間はかかるかもしれないが、一ヶ月もあれば十分だろうと考えている。
大学職員には、人事異動がつきものだ。
だからこそ、むしろ大学職員こそ理論を学んだ方がいい。
でないと、人事異動のたびにパフォーマンスが低下する人になってしまうだろう。
高いレベルの理論的枠組みを体得して、異動のたびに目の前の事象にあてはめるとよい。

「お勉強には意味がない」「実践が大事だ」と言う人もいるかもしれないが、そういう人は理論にコンプレックスがあるのではないかといつも思う。
どっちも大事に決まっている。
誤解を恐れずにいえば、頭でっかちなのはいいことだ。<本当の意味で>頭でっかちであるということは、多くのことを高いレベルで汎用的にこなせるということにつながる。
理論を本当に体得していれば、実践も高いレベルでこなせる。理論を勉強したのに実践がうまくこなせない場合、たぶん体得した理論のレベルがイマイチなのだろう。

理論に疎い人の特徴として、新しいことに挑戦しにくいことが挙げられる。
なぜなら、怖いからだ。新しいことを理論にあてはめて考えることができない。
だから怖がる。わからないから。誰しもわからないことにチャレンジすることは難しい。
チャレンジしたいなら、理論を学ぼう。
人事異動がある仕事であるなら、であるからこそ理論を学ぼう。
そのことによって、どのような仕事も高いレベルでこなし、チャレンジできる人間になれる。