松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

東京アカデミーの教採模試を学生と一緒に受けてみた結果―松宮カップのその後、とりあえず論作文の内容をさらしますー

以前、学生と一緒に東京アカデミーの模試を受け、結果をランキング形式にして掲示する「松宮カップ」を行う、という宣言をしました。
実際に行ったのですが、余裕がなくてまだ掲示できていません。
完全にタイミングを逃しました。今は学生にとって大事な時期なので、あまりこういうことで色々ちゃちゃを入れたくない、集中させてやりたいという思いもあります。
なお、学生にはおそらく負けたと思います。よかったです。
ただ、おそらく論作文は勝ったのではないかと思います。ブロガーの面目躍如と言えるでしょう。
その内容を以下にさらしますね。採点者のコメント、評価も含めて。
申し訳ないけど、講評の日本語がへたくそなのが気になります。日本語としておかしい箇所が複数あります。
逆に校正して返したいです。

評価

課題の把握 4点
文章力 5点
論旨の明確性・一貫性 4点
内容の充実度 4点
教師としての適性・熱意 3点
合計 20点

なお、採点基準は以下のとおり。
非常に良い 5点
良い 4点
普通 3点
少し劣る 2点
劣る 1点

総合評価は「B」でした。
A 22~25点
B 18~21点
C 14~17点
D 10~13点
E  5~9点
(B以上が合格圏)

講評

文章的に大変よく書けています。序論の部分では、しっかり論点を想像力の育成の重要性にしぼり、本論につないでいます。また、文章の一つ一つに説得力があり、採点者にあなたの見解が伝わってきます。少し残念なのは、教師として想像力を育成するために具体的な場面でどの様に指導していくのか、その指導の在り方についての論述があればと思います。実践的指導力の有無がこの論作文にも必要です。また、最後のまとめの段階でテーマに沿ってあなたの決意が述べられていません。その点採点者へのアピール性に欠けるということになります。留意してください。

選択した課題等

忘れてしまったのですが、3つの課題があって、そのうち「経験」というものを選びました。
残りの2つは文章で、たとえば「いじめについてどう思うか」というようなものでした。
このため、最も難しそうな、たった二文字でお題となっているこれを選びました。
字数は任意に設定できたので、1000字としました。
所属は広島大学大学院とし、志望先は京都府の中学校の国語としました。
まあでも所属や志望先は、書いたものの、その中での順位とかは出ないみたいです。
試験時間は忘れました。一時間ないくらいだったかな。

文章の構成

「経験」というテーマは質問でもなんでもないので、やはり一番選ばれにくかったように思います。
なので、この二文字から自分なりに別途お題を立てねばならないと思いました。
そこで、「経験の自分なりの定義づけ」→「経験が子どもたちの成長にもたらす意義と限界」→「経験主義からの超越を目指すべきでは?という問題提起」という論理構造を簡単に思い描いてから書き始めました。

以下本文

 本稿では、子どもたちにとって経験を蓄積することの意義と限界を指摘した上で、高度化・複雑化する社会においては、経験の蓄積よりもむしろ、未経験の出来事を鮮明に思い描くことができる想像力の育成が重要になるのではないかという問題提起を行いたい。
 「経験しないとわからない」とう言葉がある。人間にとって<経験>とは、特定の体験を経ることで心身が直接的に影響され、ときに思考や性格に変容をもたらす行動様式である。ゆえに、大人はもちろん、発達段階が未熟であればあるほど、子どもたちにとっても人格形成に多大な貢献をするものと思われる。たとえば、修学旅行における平和体験学習はその好例であろう。事前に戦争や平和に関する学習を行い、実際に広島や長崎で原爆ドームの見学や語り部との触れ合いを通して、学んだことを体感する。後者が<経験>であり、体感があるからこそ事前学習に深みを持たせることができるのである。
 このように、経験を蓄積することは子どもたちの人格形成にとって意義深い。しかしながら、経験の蓄積には一定の限界もある。すなわち、ひとりの人間が蓄積できる経験には必ず限度があるのであるから、「経験しないとわからない」では問題があるのである。若く未熟な時期に経験を蓄積することの意義は否定できないが、成熟にするにつれむしろ求められてくるのは、「経験はしていないが、わかろうとすることができる」想像力ではないだろうか。
 ここでいう<想像力>とは、未経験の出来事を一定程度鮮明に思い描くことのできる力を指している。<思い遣り>と換言することもできるかもしれない。つまり、メディアのニュースで言及される、全くの赤の他人に降りかかった出来事に対して、親和性を持ちながら触れることのできる力である。私たちの生きる現代社会は、テクノロジーの発達を背景に、日増しに高度化・複雑化しており、かつ国境の垣根が低くなりつつあるグローバリゼーションが進行している。かかる状況にあっては、自身の経験のみに依拠しながら生きることは困難である。また、自身の経験をあまりに絶対視していると、他者の多様な背景を捨象することにもなりかねない。
 以上のことから、未来を生きる子どもたちには、自身の経験を相対化し、未経験のことも補完できる想像力を育み、もって多様な他者と共生できることを望んでいる。(1000字ちょうど)