松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究) 課題⑪私が実施したい主体的な学習教育―「教職課程の学生同士による学びあい」―

島先生ご担当回の2回目でした。
大きな枠組みを踏まえてから、企画案を考えようというオファーでした。

2015.7.9

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究) 課題⑪

私が実施したい主体的な学習教育―「教職課程の学生同士による学びあい」―

M156296 松宮 慎治

1.主体的な学習の大きな枠組み
 『IDE現代の高等教育』第543号を拝読し、島先生のご指導を踏まえて以下のような主体的学習の「大きな枠組み」を検討した。
◆時代背景
・社会構造の変化、価値観の根本的な転換(佐々木)
・「教授」から「学習」へ(吉田)
・進学者の増加(猪口)
◆「主体的」とは?
・生涯学び続け、答えのない問題に対してどんな環境にあっても何とか答を見出していく力(安西)
・未知の問題に対する真摯な探究(金子)
・「ライフスキル」の重要性(島田)
◆促す方法
 -授業方法の改善
ディベート、ディスカッション主体の授業方法(安西)
・授業方法が、学習時間と関連をもつ(金子)
・教育と研究との相乗効果が発揮される教育内容・方法を追究する(舘)
 -環境の改善
・外国人との学び(安西)
学生寮の設置(安西)
 -方針の明確化
・「指針」を明確に(佐々木)
・学生に学びの有効性を理解させる(居神)
 -教育課程の改善
・カリキュラムの体系化と組織的な教育活動(佐々木)
・教員の負担減(佐々木)
・「授業」「自律的学習」「制度的な学習の外で自主的に行う学習や経験」という3つのレベル(金子)
・体系的なカリキュラム編成(吉田)
-学生視点
・学びの共同体の再構築(「ゼミ仲間」「受講仲間」というウイークタイズ)(島田)
・意志に基づいた履修行動が満足度の高さに結び付く?(山田)
◆なぜ必要なのか?現状への批判
-学習時間が少ない
・日本の大学生の学習時間が少ないという事実(安西)
・学習時間が欧米の学生の半分→授業時間の前後での学びで解決(佐々木)
・「学習時間」を「始点」として(佐々木)
・学習の端的な量的指標としての学習時間に着目した『審議中間まとめ』(金子)
-構造の問題
・米国とのシステムの違い、就活の時に学びが参考にされないという問題、流動性の低さ(安西)
フンボルト理念にアメリカの枠組みを付加したが、アメリカの制度の要素を十分に導入しなかった(金子)
・日本の学習構造では、授業と、自律的・自主的な学習が分離→教育と学習の統合が必要(金子)
-カリキュラム設計の問題
・何をどのような範囲で、どのような順序で教えるべきかの議論が必要(吉田)
・授業科目の軽減が必要(猪口)
・授業時間数が多すぎて、予習復習の時間がとれない(小笠原)
・研究室、ゼミへの信奉がその他の授業の質低下を招いている(小方)
◆現状への部分的肯定
・卒論、卒研は自律的学習(金子)
・研究室での活動は、学生間の学び合い(金子)
・日本では、授業への出席に費やす時間が多い(吉田)
・学生は学習しているし、学びたがってもいる(大学に問題がある)(松本)
◇その他
・「学習」と「学修」の違いはどこにあるのか?どういう意図、意味で使い分けられるか?

2.枠組みを踏まえた問題と目的
 前述の大きな枠組みを踏まえると、仮に何の制約もなく自由に改善案を提示できるとしたら、たとえば次のような施策が検討できよう。
 (1)学部ごとにカリキュラムマップを作成し、科目の体系性を明らかにする
 (2)学びの体系性にうまくフィットしない科目は、カリキュラムから外してしまう
 (3)(1)(2)を踏まえた上でナンバリングを行い、それぞれの科目の位置づけを学  
    生に明示する
 (4)教員はディベートやディスカッション主体の授業を行うこととする
 しかしながら、こうした改善案は完全にアメリカのコピーであり、わが国固有の問題を解決することを目指しつつも、同時にこれまで培ってきたわが国独自の大学教育の良い面も捨象してしまっているように思える。また、教育の直接的な担い手となる教員にとってこのような転換は単なる負担増と捉えられる可能性があり、仮にそう捉えられてしまう場合には、実現可能性に大きな問題が生じる。
 したがって、ここでは実際に実現可能な(たとえば、自らの勤務先の自らの裁量でも実行可能な範囲の)改善案として、「教職課程の学生同士による学び合い」を示す。

3.企画案
 大学がもっているリソース(ヒト・モノ・カネ)には当然のことながら一定の限界がある。このため、ヒト・モノ・カネに依存した改善にも同時に限界が発生する。より具体的には、保持しているリソースの大きい機関から上から順に並べられることにより、下位機関が上位機関の劣化コピーになるという状況を招く。こうした状況を回避するためには、ヒト・モノ・カネ以外の、限界の見えにくいリソースを見出す必要がある。このときもっとも可能性があるのが、金子先生も指摘する「学生同士の学びあい」である。学生同士の学びあいには波及効果があると思われる。すなわち、友人が学んでいると自分も学びたくなり、ひいてはお互いに学びあうようになり、そうしたコミュニティが複数生まれると、学びのコミュニティ同士の切磋琢磨が始まる可能性がある。
 以上を踏まえて、ここでは、A大学の教職課程を事例に、次のような企画を検討する。
【前提】
 A大学の教職課程では、各授業科目の教員が科目の裁量内で個別に学生を指導している。かかる状況にあって、学生のコミュニティは特定の学年の特定の教科という小集団に留まっている。
【企画案】
 A大学は目的養成の大学ではないため、教職課程を履修する学生は自ら卒業要件外の科目を修得している。それゆえ、卒業要件の科目のみを修得する大多数の学生とは学びの共感が得にくいという問題がある。そこで、「職員として」以下のような段階を踏みつつ、教員免許状を取得する、あるいは教師を目指すといった共通の目標のもとに、共感しながら学び合う学習コミュニティの形成を目指す。
(1)教職課程の担当教員との意思疎通を図りながら、学生同士が学びあうコミュニティの形成に関する心理的合意をとりつける
(2)2~3人の既知の学生に声をかけ、上記の検討事項を伝え、「やってみないか」と煽る
(3)試行的に、何らかの目的をもった公開勉強会を開催する。参加者数は少なくてもよいので、とにかく1度実施する。また、実施するにあたってはお知らせの配信と掲示で宣伝する
(4)(3)の終了後、どれほど参加者数が少なくても「実施した」という実績を再度お知らせの配信と掲示でアピールし、「本学は学生のこうした自主的な学びを応援する」という文言を添える
(5)(4)を2~3回繰り返す
(6)(3)の発展形として、公開模擬授業を実施する
(7)(5)の段階になれば、そろそろ自主的な勉強会を始めたいという声が集まってくる。場合によってはサークルという公共性を帯びたものが結成される
―ここまでの段階で、学年も教科も超えたコミュニティが形成され、当初存在していた
特定の学年の特定の教科という小集団に留まっていた状況は(少なくとも一部では)
クリアされる
(8)コミュニティの学生に、新入生ガイダンスでの登壇や、教員免許状更新講習等を依頼し、大学の運営に部分的に関与してもらう
―ここまでの段階で、学生同士が完全に自主的に機能しはじめ、持続可能な活動になり
うる可能性が芽生え始める(新入生の勧誘等、正規のコミュニティとしての性格を帯
び始める)
(9)他大学の教職課程履修学生とともに、公開模擬授業を実施する
 ―ここまでの段階で、大学の枠も超える
(10)他大学の教職課程履修学生とともに、教員採用試験の直前に勉強合宿を開催する

4.計画
 実はこの企画は既に勤務先で実行している。したがって計画としては一部実施済であり、現在は(9)以降が課題となっている。こうした学生の自主的な活動は、多くの場合持続可能性に問題が生じる。中でも支援する教職員の学内外に異動によって立ち消えになることがほとんどである。このため、「教職員がいかにして手を放すか」が問題となる。この点については幸いクリアできたと考えているが、他大学を巻き込むという(9)以降に1年以上難航している。他大学の学生と学生同士で連絡をとらせたり、自身の縁故で声を掛けたりしているが、基本的に進まない。

5.本企画の強みと弱み
 本企画の強みは実現可能性にある。アクティブ・ラーニングやPBL等、ある種の掛け声で無理やり動かされるのとは違う価値があると考えている。一方で、本企画は正課に踏み込んでいないという弱みをもっている。この弱みについては、実現可能性を優先して、正課外の取組みが正課に波及していくことを期待する結果である。