松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

堀江貴文著『我が闘争』(幻冬舎)を読了

標記の本を読了しました。
私にとって堀江さんというのは、時代の寵児とあがめられたのちにいっきに犯罪者として奈落の底に叩き落されたという、そういうところを働く一歩手前の大学生の時代に見ていたという存在で、
「やっぱり目立ちすぎると潰されるんだな」とか、「この手のひら返しなんなんだ」とか、考えるといろいろと複雑な思いになる方です。
講演会に行ったことありますけど、ふつうに面白かったですよ。
拝金主義な感じは全くなかったです。

この本は、さらすのがいやに思えるような体験を書いたもののようです。
刑務所の中で自分の人生を振り返ったことが、執筆の契機になっているようですね。
章立ては次のとおりです。

第 1章 田舎の優等生
第 2章 パソコンと思春期
第 3章 ダメ人間
第 4章 起業前夜
第 5章 新米社長
第 6章 上場
第 7章 M&Aという選択
第 8章 プロ野球界参入
第 9章 ニッポン放送買収
第10章 衆議院選立候補
第11章 ライブドア事件

一番印象に残ったのが「おわりに」です。一部抜粋します。(赤字は引用者)

 刑務所に入って何が変わりましたか?どれだけの人にそう聞かれただろう。 
 衛生係として老人の世話をしたので介護が得意になった。健康的な生活を送って30キロも痩せた。あんなに嫌っていた納豆が食べられるようになった。
 ネタはたくさんあるので、それなりに面白いことは言えないでもない。でも、質問してくる人が欲しているのは、もっと僕の人間性にかかわることなのだと思う。
 人としての優しさに目覚めたとか、我慢強さや協調性が増したという類いのこと。極端に独善的で合理主義、おまけに拝金主義の物質至上主義であると思われていた僕が、懲役によってどんなふうに改心したのかを知りたいというわけだ。
 なにも変わっていないとは言わない。
 でも僕は相変わらず僕のままだ。

 ヨボヨボの老人の前では優しくもなるし、横暴な受刑者に難癖をつけられた時は我慢強さだって必要だ。だけどそれは上手くその場を切る抜けるために、自分の中にもともとあった感情や感覚を動員しているわけで、人間性の変化として語るべきではないと思う。
 ここで言いたいのは、世の中の人は驚くほど、あるきっかけで変わったという話が好きだということだ。
 多くの人は人生がしっかりとした1本の線であるべきだと考えているのだろう。だからこそ、過去と現在の人間性を比較したり、そこに整合性を求めたりする。
 でも人なんてもっといい加減な、相対的なものじゃないだろうか。なにか一つのことがきっかけで変わったりするのではなくて、そもそも一瞬一瞬が別の、新しい自分なのではないか。
 今という点の連なりを俯瞰で観れば、結果として1本の線に見えることがあるとしても、1本の線であることを意識して生きるのは窮屈だし、僕には意味があるとは思えない。
 この本を書き終えた今、いよいよもって僕は過去に興味をなくしている。
 大切なのは今、この瞬間。自由に時間を使えなかった数年を経て、今を生きることに全集中力を動員したいという思いはより強固になっている。そうでなければ、僕がやりたいことを限られた時間でやることはできないのだ。

今を生きましょうということですね。