松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

図書館の近くで生活するという文化資本

私の実家は、徒歩10分くらいのところに市立図書館がありました。
いま思うとこれはわりとすごいことだと思います。
親は、図書館の近くに家が欲しかったらしいのですが、それは正解だなと振り返って感じます。
なにしろ子どもにとっては、この近さが重要です。
世界や行動範囲が狭いですからね。
これが徒歩30分の距離だと、ハードルがあがってしまいます。
借りられる本の冊数の上限が12冊だった(たしかそのくらい)ので、土曜日に上限いっぱい借りて全部読み、日曜日に返却しに行って再び12冊借りる、みたいなことを小学生のときは繰り返していました。
子ども向けのものから普通の文庫本からマンガまで、あらゆるものを借りて読みました。
子ども向けのものでは、ズッコケ三人組が好きで何回も読みました。あれはよくできた作品ですね。
大人向けのものでは、特定の人物を扱った歴史小説が好きで、史実性の高いものから物語性の高いものに、じょじょに移行していきました。
中学生になって部活を始めて、そこまでの余裕はなくなりましたが、もしかしたらこういうのは今に生きているかなあと思っています。
読書というのは習慣なので。

何を思ったかというと、たまたま大学で働いているのだから、もうちょい大学図書館は利用した方がいいかなあということです。
今は文献複写の依頼か、昼休みの勉強か、たまに学術書を借りるくらいにとどまってますので。
あと家の近くにも神戸の中央図書館?があるんですが、最近ではあまり利用してないですね。
カードもなくしてしまった気がする…。
なので、もっぱら本は購入しています。
別にいいんですけど、これではお金も場所も無駄に使いすぎてしまいますね。
本に埋もれる生活…それも悪くないですけど。
せっかく身近にある文化資本を使えないのでは、それはないのと同じですし。
実にもったいない。
部屋を片付けるついでに、図書館のカードを探そうと思います。