松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

【再掲。しかし心境の変化もある】なぜブログを(しかも実名で)始めようと思ったのか?

最近たまに聞かれるのですが、この件については以下の記事で説明しました。shinnji28.hatenablog.com
ここで書いているのは大体次のようなことです。

Greenhorn Networkの10周年記念イベントで、どんどんチャレンジしろと言った。
同じ登壇者に、有名な大学職員ブロガーがいた。そして、参加者にブログ執筆を勧めていた。
そうはいっても、実際にブログを書き始める人は少ないだろう。大学業界は閉鎖的だし、身バレも怖い。
ということで、チャレンジしろと言った手前もあり、まず自分が始めることにした。
また、匿名だと先行者に勝てないので、実名でやることにした。実名だからこそ、つまらない内容でも見てもらえる。
ただし、自分を商品として切り売りしている怖さはある。

まあ、大体こういうことをつらつらと書いてます。
実際、こういうふつうできないようなチャレンジをすることによって、強く差別化される部分はあると思いますし、そのことによって「自分もやってみようかな」と匿名で始めてみる人もいるみたいだし、そういうのは嬉しいことです。
「あいつがやっているなら、自分もやれるだろう」と思ってもらえるようにする、というのは自分なりの行動指針の一つです。
そのためには、自分が最大級のチャレンジをしておかないといけません。
たとえば、匿名でのブログ執筆というのは、実名でやっている人がいるという事実があると、それなりにやりやすくなる可能性があるわけです。「実名はさすがに無理だけど、まあ、匿名なら…」という論理ですね。

しかしながら、最近思うことがあります。
「チャレンジのハードルを下げるためです」とか、「広くこの仕事を知ってもらうためです」とか言うとえらいそれはかっこつけすぎなんちゃうかと。

「やりたかったから」

これだけでいいんちゃうかと。別に理由はない、ただやりたかった。
直観的に、やろうかなと思った。理由はないけど、なんとなく。
え?なんですか?やりたいことやるのに何か理由いりますか?逆に聞きますけど?というくらいのスタンスの方が自分には自然体やなと、最近では思うようになりました。
前述したような「チャレンジのハードルが下がる」「広くこの仕事が知ってもらえる」というのは結果に過ぎないわけで。
それは自分の行動とはわけて評価しないとあかんのちゃうかと。
やりたいからやってる、それだけです。その結果に対する評価は市場におまかせ。
最近ではそう思うようになりました。