松宮慎治の憂鬱

このブログの情報は古く,今後更新しませんので,特に教職課程関連の参照元とすることは避けていただければと思います。ご迷惑かけます。2023.2.19

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究)遠隔課題③―大学のガバナンスにおける学長リーダーシップ論―

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究)の村澤先生担当回、ラストの遠隔課題です。
非常に苦しんで、感想文のようになってしまいました。
ガバナンスとかマネジメントとかリーダーシップとか、そういうの難しいです、、


2015.4.30

高等教育基礎演習Ⅰ(実践研究) 遠隔課題③

大学のガバナンスにおける学長リーダーシップ論

M156296 松宮慎治

1.はじめに
 本稿では『IDE 現代の高等教育』(2012年11号)の特集論文(テーマ「大学のガバナンス再考」)を読んで考察したことをまとめる。本特集では11編の論稿が収録されており、その内訳は国立大学と私立大学のガバナンスを比較したものが1点(大﨑先生)、私立大学のガバナンスに着目したものが4点(白井先生、両角先生、北山先生、小松先生)、国立大学のガバナンスに着目したものが2点(黒木先生、水田先生)、公立大学のガバナンスに着目したものが1点(矢田先生)、ガバナンスを国際比較したものが3点(丸山先生、福留先生、村田先生)となっている。中でも北山先生の論稿では、経済同友会からの提言として複数のガバナンス改革が示されており、理事会の権限や経営・監督機能の強化、学長・学部長の権限の強化等が謳われている。本稿では、こうしたいわゆる「学長リーダーシップ論」に関する先行研究を概観し、それに対する自身の職務経験を踏まえた所感を述べたい。

2.先行研究
 前述の北山先生の論稿における経済同友会からの10の提言は、中央教育審議会大学分科会(第105回)におけるもの(『私立大学におけるガバナンス改革― 高等教育の質の向上を目指して―』)を指していると思われる。大学のガバナンス改革を論じるときには、こうした経済界からの意向が含まれることがある。
 学長等のトップに権限を集中させ意欲的に施策を実行していくべきであるという論は、近年国家レベルの文書においても頻出している。たとえば、教育再生実行会議の第三次提言においては、「学長に権限を集中して国や大学は、各大学の経営上の特色を踏まえ、学長・大学本部の独自の予算の確保、学長を補佐する執行部・本部の役職員の強化など、学長が全学的なリーダーシップをとれる体制の整備を進める」ことが推奨されている。しかしながら、こうした提案は近年になって初めてなされるようになったものではない。たとえば、古くは中央教育審議会の第19回答申『大学教育の改善について』(昭和38年)においても、学長の職務権限として「学長は、大学の管理運営の総括的な責任者である。したがつて、大学全体の管理運営に関しては、責任をもつて処理すべきものである。この場合、評議会その他の学内諸機関と連けいを保ちつつ全学の総合調整を図り、かつ、その指導的機能を果たすべきものである」ことが示されている。このように、いわゆる「学長リーダーシップ論」はおよそ50年以上にわたって繰り返されてきた議論であると言える。
 一方、羽田(2014)はこうした「学長リーダーシップ論」に批判的な検討を加えている。具体的には、「学長リーダーシップ論」は「マネジメント手法の問題を,権限体系の問題に還元」しており、「具体的な活動や手法が課題であるにもかかわらず,権限と責任体系さえ明確なら物事が進むとの想定は,ある種のイデオロギーである」(下線筆者)と述べている。すなわち、現在の「学長リーダーシップ論」はきわめて観念的であり、これまでの組織マネジメント論を踏まえていないというのである。

3.職務経験と先行研究を踏まえた「学長リーダーシップ論」に関する私見
 職務経験と先行研究をもとに、「学長リーダーシップ論」に関する私見を述べたい。結論から申し述べれば、私立大学にとってその運営方法に特定の方向づけがなされてしまうことには、その特性からいって問題が多いと感じる。他方、なかなか自主的に大きな変革を遂げられないことに対する社会の不満や期待があるという見方もあり、当事者としてはなぜこうした議論について、揺り戻しがありながらも継続されるのかという背景に自覚的になる必要があると考える。
 高等教育論の先行研究では、「学長リーダーシップ論」について批判的に言及されることが多いようである。具体的には、大学の組織特性に鑑みれば、トップダウンボトムアップの両方が必要であり、いずれか一辺倒である状態には問題が多いという論や、羽田(2014)のように、リーダーシップとオーサーシップは区別して議論しなければならないという論がみえる。また、こうした主張がおよそ50年以上にわたって繰り返されていることは注目すべきところであるが、教授会の権限を明確化する学校教育法の改正に見られるように、近年は法改正によってその遂行に強制力が伴いつつあるように思われる。
 筆者は神戸学院大学という私立大学に勤務しているが、その実感からいって、国家文書レベルで推奨される私立大学における「学長リーダーシップ論」や学校教育法改正については、法人によってその受け止め方は様々である。たとえば勤務先である神戸学院大学の場合、学校教育法改正に伴って学内規則の改正を行ったが、学内の権限体系は実質的に従来どおりとすることをその前提としている。すなわち、教授会の権限を限定する方向性は法律の改正を伴うものであるから、いわば形式的に条文を整備せざるをえないという状況に陥ったのである。また、今回の学校教育法の改正は、各大学に一律の運営体制を強いるものではないとされているにもかかわらず、チェックリストに基づいた規程改正が求められ、細かい文言修正の依頼が文部科学省から指示されたと聞いている。
 このように、運営方法の詳細について、内規の文言レベルで特定の方向づけがなされかねない状況は問題が多いと感じている。なぜなら、建学の精神に基づく私立大学の独自の価値を将来にわたって生産するためには、各大学の裁量が一定許容されている必要があるからである。「学長リーダーシップ論」が羽田(2014)の指摘するようにある種のイデオロギーであるとするならば、外部のイデオロギーに基づいて学内規程を整備せざるを得ないことは、私立大学にとってあまり好ましいことであるとは言えない。前述の経済同友会の提言内においても、「私立大学は多様であり、各大学のガバナンス構造も一様ではない。今回我々が示したガバナンスに関する諸提言は、すべての大学を特定のガバナンス・モデル に収斂させることを目的とするものではなく、ガバナンスに対する一つの考え方を示したものにすぎない。したがって、各大学の経営者が本提言の主旨を理解し、各大学の実情に合わせた形で、本提言の内容が活用されることを期待したい。」(下線筆者)と述べられているように、私立大学にとって多様性の担保はその存在意義にかかわる問題である。
 他方で、私立大学が入学難易度(偏差値)に基づいた輪切りの序列からなかなか抜け出せず、輪切りの序列において下位大学が上位大学の施策を模倣しがちであることもやはり事実である。このように建学の精神に基づく独自の価値観は私立大学を運営する上で欠かせない要素ではあるものの、各私立大学が自らの強みを自覚し、独自の価値観を社会的に表現できているのかという問題もある。この問題に社会的な不満が蓄積しており、「なかなか自己変容できない大学」という評価が下されているという別の事実もあると思われる。かかる現状において、私立大学に勤務する当事者としては、社会的評価と大学が果たすべき使命との止揚を図りながら、厳しく自律する内省的態度が求められると考えている。

引用文献
羽田貴史(2014)「教育マネジメントと学長リーダーシップ論」『高等教育研究(大学教育のマネジメントと革新)』第17集,pp.45-63.
学校法人神戸学院(2013)『学校法人神戸学院 中期行動計画2013-2017』
教育再生実行会議(2013)『これからの大学教育等の在り方について』(第三次提言)(平成25年5月28日)
公益社団法人経済同友会(2012)『私立大学におけるガバナンス改革― 高等教育の質の向上を目指して―』
中央教育審議会(1963)『大学教育の改善について(答申)』

参考文献
羽田貴史(2013)「高等教育のガバナンスの変容」『シリーズ大学6 組織としての大学―役割や機能をどうみるか』(岩波書店),pp.77-106.